学校であった怖い話
>一話目(細田友晴)
>A3

巻き添えを食うのはごめんだからね。
僕は、中野の顔を殴りつけたよ。
君は人を殴ったこと、あるかい?
僕は初めてだったんだ。
あの時の彼の顔は、忘れられない。
ビックリしたような、裏切られて悲しんでるような顔だったよ。

一瞬ひるんだ彼の手を振り払って僕は駆け出した。
試験会場まで戻れば、なんとかなると思ったんだ。
そこを曲がれば、すぐ教室……というところで、僕は背後の奇妙な物音に気づいた。
重い物を引きずるような、ずる……ずる……という音さ。
悪い予感がして振り向いた。

廊下いっぱいに広がって、うごめいている手がそこにいた。
肌色の蛇みたいに鎌首をもたげて僕を狙ってる。
やつらが狙っていたのは、中野じゃなくて僕だったんだ。
それにしても、トイレから離れて、こんなところまで追ってくるなんて。
教室なんかじゃダメだ。

僕は、階段を駆け上がった。
あのトイレから離れれば、手もあきらめると思ったんだ。
先生らしい声が背中で聞こえたけど、構ってなんかいられない。
僕の荒い息に混じって、ずる……ずる……という音が、ハッキリ聞こえていたんだから。

三つか、四つの階段を上ったと思う。
僕の目の前に鉄製の扉が現れた。

重いその扉を開けると、そこは屋上だった。
ここまで来れば、やつらも追って来られないだろう。
一息ついて、僕は階段を振り返った。

そこに、やつらはいた。
ずる……ずる……と階段を這い昇ってくる。
もうすぐ、僕の足元に追いついて来る。

そう思ったら怖くなってね、屋上の隅にまで走ったよ。
もう振り返らなくても、やつらが追ってくるのはわかってる。
追い詰められた僕はフェンスによじ登った。
そう、屋上のフェンスさ。
僕があんなことしたせいで、今はもう、登れないように高くしてあるけどね。

だけど、そこにもやつらは追いついて来た。
上履きに、チロチロと指先が触れる。
もう逃げ場はない。

…………その時、僕はひらめいた。
逃げ場ならあるじゃないか。
フェンスの向こうに広がる、無限の空間。
馬鹿なことを、って思うだろうな。
でも、あの時は必死だったんだ。

僕はフェンスをまたぎ、地上を見下ろした。
あそこに行けば、逃げられる。
僕は目をつぶって、飛び下りたよ。

…………予想したような衝撃はなかった。
それどころか、フワッと柔らかな物に受け止められたような感覚。
目を開けると、僕は、屋上から伸びたたくさんの手に、空中で抱き留められていた。

ビックリしている僕を、手たちは丁寧に地上に降ろしてくれたよ。
それから、何事もなかったようにシュルシュルと帰っていった。

僕を校庭に、ポツンと取り残してね……。
入学試験?
僕の行動を、突発的なノイローゼだと思った先生たちが特別に、再試験をしてくれてね。
そのおかげで、今ここにいるってわけ。

……フフッ、不思議そうな顔してるね。
そんなに怖い目に遭ったのに、どうしてこの学校に来たのか……って、聞きたいんだろ。
いったじゃないか運命だろうって。
僕は、きっと何らかの理由で、あの手に選ばれてしまったんだな。

やつらが、僕になにをさせたいのかは、まだわからないけど。
それも、きっといつか解明するつもりさ。
あと……これは、少しいい難いんだけどね。
あの時、手に抱き留められた感触が忘れられないんだ。

暖かくて、柔らかくて……まるで赤ん坊に戻ったみたいな安心感がね。
いつかまた、あの手に包まれたい……。
それが、僕の夢なのさ。
僕の話は終わりだよ。
次は誰かな?


       (二話目に続く)