晦−つきこもり
>一話目(真田泰明)
>C4

ははっ、葉子ちゃんだったらきっと助けに行くよ。
やさしい、いい子だからな。
そんなに照れるなよ。
でも、時には自分のことを優先した方がいいよ。
もし、助けに行ったら、俺はここにいなかったかもしれないからね。

そして、そのまま走って逃げたんだ。
(魔物だ……………)
俺はそう思うと走らずにはいられなかった。
あの絵はただの絵画じゃなかったんだ。
(あの絵はいったいなんなんだ………………)

面白半分であの絵を扱ったことを後悔した。
そして俺は走りながら助かる方法を考えた。
(何か方法があるはずだ……)
しかし何も思いつかない。
ただがむしゃらに走り続けるしかなかった。

夜中の街には人っ子一人いない。
その孤独感がより恐怖を増した。
そんなとき、教会が眼に入ったんだ。
(あそこに行けば助かるかもしれない…………)
俺は藁にでもすがりたい気持ちだった。

そして、そこに向かって走ったんだ。
教会は電気が消え、静まり返っている。
門を登り、敷地内には何とか入ったがドアは開かなかった。
(どうする…………)
空の雲に映る光が奴が背後に迫っているのを告げている。

俺は窓ガラスを割り入ることにした。
そして、庭にあった赤ん坊の頭ほどの石を持ち上げると、近くの窓ガラスに投げ付けたんだ。
窓ガラスは派手な音をたてて割れた。
そして俺は中に入ったんだ。

(苦しい時の神頼みか……………)
少し情けない気分だった。

(こんなときだけ頼りにするとは…………)
建物の中は静まり返り人の気配はない。
そして無気味ですらある建物の奥に、俺は足を進めたんだ。

静寂の中に自分の足音が響く。
俺は十字架の前にきた。
それから手を合わせ、願ったんだ。
(お願いします。助けてください)
しばらくの間、辺りは沈黙が続いた。
奴が近づいてくる様子はない。

(もしかしたら、教会を怖れて近づけないんじゃあ………)
僅かな希望が沸いて来た。
取り敢えず朝まで持ちこたえれば助かる。
根拠もなく自分にそういい聞かせた。
その時、突然、季節外れの雷が轟き、俺は身を硬直させた。

辺りには雷のものとも思えない低音が響いている。
そして窓からはときどき雷の光が差し込んだ。
(奴が来たんだ…………)
俺はそう感じた、しかし。
(ここに居れば大丈夫だ………)

自分にそういい聞かせ恐怖に耐えたのさ。
地面を揺らすような低音は更に強くなり、雷も激しさを増している。
俺は床に座りうずくまった。
教会の中の調度品は倒れ、転がっている。
それらは教会の崩壊を予告している様だった。

(ほ、ほんとうに大丈夫なのか……)
根拠のない期待でごまかしていた気持ちに不安が過る。
そして俺は十字架を見上げ、教会の無事を願った。
窓ガラスが振動で割れ、その窓からは風が流れ込み、更に教会の中を混乱に導いて行く。

(もう終わりかもしれない………)
根拠のない期待の崩壊は早かった。
そしてその希望が崩れるのと同時に、十字架が倒れ砕けたんだ。
(最後か……………)
俺は確信にも似た予感をいだいた。

そして周囲から、地面に響くような低音が徐々におさまっていった。
静寂の中、最後の時が刻々と迫るのを感じていた。
そして静けさに終止符を打つ雷が轟いたんだ。
雷鳴は一際強く響くと、その終わりと共に教会のドアが開いた。

教会の中に足音が響きわたってくる。
(奴か、奴なのか……………)
足音が徐々に大きくなり、自分に迫るのを感じていた。
そして俺が視線を落としている床に靴の爪先が現れた。
(…………………)
俺は顔を上げた。

そこには不敵に笑う無気味な男が立っていた。
彼は口を開いた。
「あのー、ルーマニアはどちらでっか」
「えっ、????????」
俺はあっけにとられた。

「はやく故郷へ帰りたいんや、教えてくれへんか」
「えっ…………………、多分、西の方だと……」
西を指差した。

「えろー、すいませんなー。さっきの男はしらんというんやー。助かりましたわ」
頭に手を当てながら笑った。
「じゃあ、さいなら」
そういうと彼はマントを羽ばたかせながら振り返り、ドアの方に歩いていった。

そして彼はドアから出るまでもなく、闇に溶けるように消えたんだ。
「な…、なんだったんだ…………」
俺は唖然として立ちすくんだ。
辺りは薄明るくなっている。
恐怖の夜が終わったんだ。

後で知ったんだけど、あの絵しばらく関西の人が所有していたらしいんだよ。
その前も各地を点々としていたらしい。
だからあんな妙な言葉遣いだったんだ。
馬鹿馬鹿しいのか、怖かったのか、今でもはっきりしないよ。

「………これでこの話は終わりだ。
葉子ちゃん、どう思う。不思議な体験だろ。どうしたんだ黙って、そんなに怖かったのか?」
泰明さんは私の顔を覗き込んだ。
「初めだから、軽めの話をしたつもりだったんだけど………」

泰明さんは明るく笑いながらいった。
「片山さんは………」
私は魔物に襲われた片山さんのことが気になった。
「えっ、片山」
泰明さんはそういうと、不思議そうな顔をする。
そして、片山さんのことを話してくれた。

「ああ、一応、変質者による殺人ということで御蔵入りになったよ。知識は命を助ける。葉子ちゃんも色々勉強しておけよ。どうしたんだ、難しい顔をして………。
じゃあ、次の人は誰かな」


       (二話目に続く)