晦−つきこもり
>一話目(前田和子)
>A5

あれは舞だ。
崖から落ちてしまった本物の舞だ。
どうにか助かったんだ。
だから謝らなければ。
父に乱暴させてはいけない。
伊佐男はそう思った。

「父さん、やめてください! 本物の舞はこの子なんです! この、ぼろぼろになってしまった子なんです!!」
伊佐男は、急いで事情を説明したの。
「舞、すまなかった……!!」
土まみれの舞の手をとり、何度も謝ったの。

「じゃあ、この舞は何なんだ……?」
伊佐男の父は、怒りをこめた目で着飾った舞を見た。
「あ、あたしは……」
「……あたし? そういえば、舞はそんな言い方はしなかったな。
お前はなんだ? 物の怪か!?」
「や、やめて!!」

その時平太が、隣にいる舞から手を離してつきとばした。
「そうか! お前は舞じゃなかったんだ!! だから、折り紙の百合もわからなかったんだな!!」
「よくもだましたな!」
「やめ……!!」
舞のきれいな赤い着物から、なにかがこぼれ落ちた。

伊佐男は、思わずそれに目を向けたわ。
「ぎゃああああーーーーーっ!!」
着飾った舞の断末魔。

彼女は、伊佐男の父に刺されたの。
伊佐男は、刺された舞を見れずにいた。
彼の目は、床に釘付けになっていたのよ。
それは、枯れた薄雪草……。
(あ、あれは俺があげた……)

伊佐男がそう考えていると、床に流れた大量の血液が目に入ってきた。
殺された舞の血は赤かったの。
「ああっっ!?」
その時みんな、大声で叫んだわ。
殺された舞の傷から、白い煙のようなものが広がるように出てきたの。

それと同時に、殺された舞の顔は、見たこともない娘のものになったのよ。
「これは一体……」
茫然とする皆をよそに、煙は高笑いをあげながら消えていった。
「しまった! この子はただ、取り付かれていただけだったのか?」

伊佐男の父が、震える手で刃物を落とした。
でも、もう後戻りはできなかったの。
殺してしまった娘を地中に埋めたの。
その夜、本物の舞は湯につかり、ゆっくりと休んだ。
そして……。

「兄さん、伊佐男兄さん」
伊佐男の枕許に現れたの。
「兄さん、ほら、折り紙の百合。
これ、本当は私がもらうはずだったのよね」
舞は、折り紙の花をひらひらさせた。

「兄さん、知ってる? 折り紙には、気持ちを伝える力があるんだって」
「……ああ、うん……神様の話か?」
伊佐男はぎこちなく返事をした。

「そうよ。ねえ兄さん。もし神様がいるなら、わたし、魂を清めてほしい人が二人いるの。わかる?
……二人いるのよ」
「………」
伊佐男は黙りこんだ。

「兄さん、わたしが今まで、どうしていたか知りたい?」
舞は、ゆっくりと近寄ってきた。
「ま、舞……すまなかった」
伊佐男はただ謝ることしかできなかったわ。
舞はゆっくり微笑んだ。
そして、自分の額に手をあてたの。

「兄さん、見て……」
舞の額の皮膚が、いきなりぱっくりと割れた。
そして、中から小さな石が顔を覗かせたの。
「私、滝に落ちて死んでしまったの。水の中にあった石に額を打ちつけて。痛かったわ。苦しかったわ……」

湯をあびきれいになったはずの舞の手が、再びカサカサに渇いていく。
そして舞の顔は、鬼のように変貌していったの。

「わかるでしょ、兄さん。今……何をすべきか」
舞がうつむくと、額から石がころんとこぼれ落ちてね。
ふわっと浮かび、ひとりでに伊佐男の手元に飛んできたの。
伊佐男は恐怖のため、一歩も動けないでいた。

「どうして今まで、わたしを放っておいたの……?」
伊佐男は石を掴んだ。
正確にいうと、何かの力が伊佐男の手を動かし、石を握り締めたといったところかしら。
もう、どうにもできなかった。

伊佐男は、石を握りしめると自分の眉間を打ちつけたの。
ざくざくと、何度も……。

翌日、帰ってきたはずの舞がいなくなり、みんなは捜しまわった。
「伊佐男、伊佐男、舞しらねえか?」
あちこちを捜し、父が伊佐男の部屋に入ると……。
眉間に傷をつけた伊佐男がうめいていたの。
血みどろになりながら。

すぐ手当てをして、命はとりとめたんだけど。
結局舞は見つからなかったの。
ただ、舞のふりをして殺された娘を埋めたところが掘りかえされていてね。
娘が着ていた赤い着物のすそが、切り取られていたんだって。
舞のしわざか、娘の怨霊のせいかと噂されていたらしいんだけど。

言い伝えによるとね、舞の霊が、その切れっぱしを川に流していたそうよ。
舞の霊は、折り紙で作った船を、二つながしていたんだって。
一つには石。
もう一つには、きれいな赤い着物の切れっぱしをのせて。

「悪いことをした。
悪いことをした……」
ずっとそう呟いていたんだって……。
それにしても。
殺された娘から出てきた、白い煙はなんだったのかしら。
娘は、なぜ舞そっくりに見えていたのかしら……。
この話は長く語りつがれてね。

後に、死者を弔う儀式の方法として、折り紙の船が川に流されるようになったんだけど……。
その話はまた今度ね。
……私の話はこれで終わり。
さあ、次の人は誰……?


       (二話目に続く)