晦−つきこもり
>一話目(山崎哲夫)
>C7

よくぞ聞いてくれた、葉子ちゃん!!
葉子ちゃんは、気づかなかったかい?
さっき、自分が『あの人たちに追い抜かれた』っていったことに。
そう、谷村君達は、今度は、さっきの人と違う人たちに追い抜かれ続けていたんだ。

「谷村さん、またあの人たちですよ……」
一番後輩の気の弱い男が、谷村君にそういった。
「気にするな。あれは、違う人たちだよ。
だいたい、あの人たちが自分たちを追い抜くことができるわけないじゃないか……」

谷村君は、そういい聞かせたんだ。
そういっていると、またあの人たちが谷村君の横をすり抜けて、追い抜いていった。
追い抜かれるたびに、吐き気を催すほどの寒気を感じる。
谷村君は、口ではああいっていたけどな、本当は怖くてたまらなかったんだ。

「谷村、もうこの辺でいいんじゃないのか?」
仲間の一人が、谷村君にいった。
「いや、だめだ。このまま頂上まで行って……そして、予定通り山小屋まで行くんだ」
谷村君は、強くそういった。

みんなは、黙ってその指示に従った。
それから、谷村君達は、一言もしゃべらずに登り続けたんだ。
「……おい、まただ……」
誰ともなしに、そういった。
みんな緊張で、堅くなる。

谷村君は、心臓の鼓動がこだましているかのような錯覚に陥った。
谷村君だけではなく、そこにいた全員がそうだったのかもしれない。
……今ちょうど、谷村君の横まで来ていた。
谷村君は、それまでなるべくその人たちを見ないようにしていたんだけどな。

人間って、怖くて仕方がないのに、つい見てしまうってことがあるよな。
谷村君もな、自分を追い抜こうとしている人を見てみたくなったんだよ。
怖くてしょうがないのにな。
谷村君は、ついその人を見てしまったんだ。

谷村君は驚いて、一瞬心臓が止まりそうになったよ。
その人たちは、恨めしそうな顔をして、谷村君達をにらんでいたんだ。
その人たちの顔は、頭から流れてくる血で、真っ赤に染まっていた。
(どうして……、どうしてこの人たちがここにいるんだ……)

谷村君は、自分のザックを手で探り、中身を確かめるようになで回した。
手には、硬いザックの中身の感触が伝わってくる。
仲間のみんなは、谷村君の後ろに隠れて、ガタガタと震えていた。
ゴクッ……。
緊張で、谷村君の喉が鳴った。

谷村君は、顔面蒼白になり、そこから一歩も動くことができなかった。
その人たちは、そのまま谷村君達を追い抜いて、去っていった。
谷村君は、大きなため息をついて、みんなの顔を見た。
みんな、緊張した面もちで、じっと谷村君を眺めている。

「さあ、行こう……」
谷村君は、そういうと、ふたたび歩きだそうとした。

「おい、谷村。今の人たちは、どう見たってあの人たちだよな……」
谷村君と同じ四年生の峰崎君が、そういった。
「………………………………」
「絶対に気のせいなんかじゃないぜ。今度は、はっきりと見た……」

「私も見たわ……」
「私も……」
「でも、あいつらは死んだんだ!
現に、ここに奴らの死体だってあるんだぜ!」
谷村君は、ムキになって、そういった。

信じたくなかったんだ。
死んだはずの人が、自分たちを追いかけてきているなんて。
みんなは、黙ってしまった。
(しかし、あの人たちはなんなんだ。確かに、みんなのいうとおり、死んだはずの人だ。それは、間違いない。じゃあ、自分が背負っている、これはなんなんだ……)

谷村君は、自分のザックを地面におろすと、中を開けてみた。
するとな、その中には……。
その中にはな、男の生首が入っていた。
それだけじゃない。
そのザックの中には、バラバラになった手足が入っていたのさ。

ザックの中の首は、頭から流れた血で、真っ赤に染まっていた。
そして、恨めしそうな顔で、谷村君の顔をにらんでいたよ。
谷村君は、さっき追い抜いていった人の顔を思い出して、ゾクッとした。
その中に入っている男の顔は、さっき追い抜いていった男と同じ顔だった。

(なんで死体がここにあるのに、あいつらは歩き回っているんだ)
谷村君は、頭が混乱しそうになった。
谷村君は、すぐに頭を振って、気を落ち着かせた。
「みんな見ろよ、ちゃんとここに死体があるじゃないか……」
「でもな……」

峰崎君は、反論しようとしたがな、谷村君の鬼のような形相を見て、言葉を打ち切ったんだ。
「そんなことより、早くこいつを処分するのが先だ」
谷村君は、そういうと、さっとザックを背負って、足早に歩き出した。
みんなもそれに従って、ついていった。

谷村君達は、人を殺してしまったんだ。
みんなで、その死体を運んでいたのさ。
もちろん、一緒にいた仲間のザックの中にも、谷村君と同様、死体が詰まっているんだ。
これは、その時から三十分ほど前の話だ。

谷村君達は、いくら追い抜いても現れる、あの人たちが不気味でたまらなかったんだ。
いくら歩いても、同じことの繰り返し……。
谷村君達は、時間が永遠と繰り返しているかのような錯覚にとらわれた。
そして、ついに耐えられなくなって……。

追い抜いても、追い抜いても現れる、あの人たちを殺してしまおうと考えてしまったんだ。
谷村君達は、頭がどうにかなってしまったのかもしれないな。
それで、実行した。
霧の中に人影が見えると、谷村君達は大きな石を掲げて、その人影に向かって振り下ろしたんだ。

その人影は、ばったりと倒れた。
でも、その人は、全く別の人だったのさ。
谷村君達は、どうしようかと考えたよ。
まさか、こんなことになろうとは……。
谷村君達は、相談した。

そして、その死体を隠して、何事もなかったように下山しようと考えたんだ。
幸い目撃者は、誰もいない。
自分たちが、殺したなんてわかるはずがない。
そう考えたんだ。

しかし、このあたりには隠すことができないから、頂上を越えたあたりにある崖の上から捨てることにした。
死体は、運びやすいようにバラバラにして、ザックに詰めて運ぶことにしたんだ。
それで、ザックの中に死体が詰まっていたのさ。

谷村君達は、しばらく登り続けた。
それからは、運がよかったのか、あの人たちに追いつかれることはなかった。
そして、谷村君達は、目的の崖の所まで来たんだ。
崖の下を見下ろすと、霧がかかっていて、下の方までは見えなかった。

「よし、ここで捨てよう……」
谷村君はそういうと、自分のザックをおろして、それを開いた。
その中の生首は、相変わらず恨めしそうな顔で、谷村君のことをにらんでいた。

(うっ……。気味が悪いなあ、もう……)
谷村君は、その首を殴りつけたんだ。
「うわぁっ!」
谷村君は驚いて、後ろにひっくり返った。
「こ、こいつ、生きてるぞ!!」
谷村君は、ザックの中の首を指さしながら叫んだ。

みんながその首を見てみるとな、その首の目がみんなをにらんでいたんだよ。
ギロリとな……。
「ひっ……」
みんな、それ以上の声を出すことはできなかった。

まるで、蛇ににらまれた蛙さ。
動くことさえできなかったんだ。
「うわぁ!」
谷村君以外の人が、一斉に悲鳴を上げた。
ザックの中身が動いたんだよ。
もごもごって……。

その時ってさ、谷村君以外の人は、ザックを背負ったままだろ?
その感触が、背中に伝わったんだ。
彼らは、急いでザックを捨てて、一目散に逃げ出した。
谷村君は、一人おいていかれてしまったのさ。
腰が抜けていたのか、立ち上がることもできなくてな。

急いで逃げようとしたんだが、足がうまく動かなくて、逃げることができなかった。
するとな、みんなが捨てていったザックが勝手に開いて、その中身がもごもごと動きながらでてきたんだよ。

「ひっ……ひえっ……」
谷村君は、はうようにして逃げ出した。
その後ろから、切断された手が、ごそごそと追いかけてくるんだ。

谷村君は、とうとう崖の所に追いつめられてしまった。
切断された手足が、じわじわと近づいてくる。
胴体の部分も、飛び出た内蔵をびくびくとふるわせながら、ズズズッと近づいてくるんだ。

谷村君は、泣きながら謝った。
すみません、すみませんってな。
甘いよな。
そんなことで、許してもらえるはずがない。
その人は、谷村君に殺されたんだから。
泣き叫ぶ谷村君を見て、生首がケタケタと笑っていた。

そして、その生首の笑いが消えた後……。
自分の足下まで来ていた手が、急に谷村君の首めがけて飛んできたんだ。
「うげっ……」
谷村君は、首を掴まれると同時に、崖の下に落ちていった。

反射的に飛びのこうとしたら、バランスを崩して落ちてしまったのさ。
………………………………。
谷村君の死体は、まだ見つかっていないらしいよ。
捜しに行った人は、結構いるんだけどな。
その時必ず、深い霧がでるんだ。

そして、その人たちは、二度と戻ってこない。
みんな遭難してしまうんだ。
そんな噂が流れてからは、誰も捜しに行く人がいなくなったのさ。
どうだったかい?
葉子ちゃん。
谷村君達が見た、はじめの五十歳ぐらいの登山者達って、なんだったんだろうな。

まだいるんなら、ぜひ会ってみたいものだ。
なあ、葉子ちゃん。
葉子ちゃんも、そう思わないかい?
な、そう思うだろ?
それとも、怖いから嫌かな?
がははははは……。


       (二話目に続く)