晦−つきこもり
>一話目(山崎哲夫)
>D6

なるほど。
その大学生のグループの中にもな、確かめてみようと考えた奴がいたんだ。
その人は、峰崎英二君という人だった。
峰崎君は、ちょっとひ弱な感じがする体格とは裏腹に、なかなか度胸のある奴だったんだ。

彼は、自分があの人たちに話しかけて、確かめてみるといいだした。
みんなは、峰崎君に聞いてもらうことにしたんだ。
誰もが、そのことを確かめたいと思ってたんだけど、なんだか嫌な予感がしてな。
話しかけることができなかったんだ。

それを峰崎君が聞いてくれるっていうんだから、願ってもないことだったんだよ。
みんなで、その人たちに近づいていった。
峰崎君は、その人たちの先頭を歩いている男の人に話しかけてみたんだ。

「あの、すみません。
変なことを聞くみたいですけど、僕らの前に誰か抜いていった人がいませんでしたか?」
そう聞いてみた。

先頭を歩いている人は、ゆっくりと振り返った。
その人は、さっきの人と同じく、五十歳ぐらいの人だった。
にこやかな顔をしていて、とても優しそうな感じの人だったんだ。

その人は、峰崎君の質問に、首を横に振って優しく答えた。
いいえってな。
みんな安心したよ。
自分の気のせいだって、わかったからな。
みんなは、気を取り直して、再び登り始めたんだ。

でも、谷村君だけは、安心できなかった。
さっきの人は、自分が前に見た人と同じ顔だと思ったからだ。
(どう考えても、あの人は僕が前に見た人と同じ人だ。
自分らは、一度も抜かれていないんだぞ。どうして、僕らより前にいるんだ? 絶対にあり得ないことだぞ……)

そう思ったんだ。
谷村君は、気味が悪くて仕方がなかった。
そして、このまま登っていけば、また、あの人たちが前から現れるんじゃないかと思ったんだ。

でも、谷村君は、そのことは誰にもいわずに登り続けた。
みんなに話して、怖がらせることもないと考えてな。
そして、しばらくたったあと……。
案の定、また前に現れたんだよ。

あのグループが……。
気のせいだと思っていたみんなも、さすがに緊張した面もちになってな。
もう、みんながいつ逃げ出してもおかしくないぐらいだったよ。

女の子の一人は、今にも泣きだしそうな顔をしてるし、歯の根が合わない奴もいた。
谷村君自身も、膝ががくがくと震えてな。
まっすぐに歩けているのが不思議なぐらいだったんだ。

谷村君達は、なるべくその人たちを見ないようにしながら、追い抜こうとしたんだ。
「あの……」
谷村君は、その人たちに話かけられたのかと思って、一瞬ひやりとしたよ。

でも、話しかけたのは、一番後ろを歩いていた峰崎君だったんだ。
峰崎君は、もう一度確かめるために、その人たちの先頭を歩いていた人に話しかけてみたんだ。
その人は、すっと顔を上げた。
その顔を見て、みんなは胸をなで下ろしたよ。

その人は、三十代後半ぐらいのおじさんだったんだ。
峰崎君も、安心してな。
人違いでしたといって、戻ってきたんだ。
谷村君達も、安心してな。
さっきまでガタガタと震えてた自分たちがなんだか馬鹿みたいに思えた。

(だいたい、追い抜いた人が自分たちの前にいるなんて、そんなことがあり得るはずがないんだ……)
谷村君は、安堵のため息をついたよ。
しかし!
戻ってきた峰崎君を見て、谷村君は息を吸い込むのも忘れるぐらいの衝撃を受けた!

いや、谷村君だけではない。
その場にいたみんなが、驚きのあまり、言葉を失ったんだ!
みんな驚いた顔をして、じっと峰崎君のことを眺めている。
わけが分からないのは、峰崎君だ。
いきなり、みんなから変な物でも見るような目で見られたんだからな。

それで、みんなに聞いたんだ。
どうしたのかって。
谷村君は、答えるかわりに質問した。
おまえ……その顔、どうしたんだ……って。

峰崎君は、自分がなにをいわれているのか、全くわからなかった。
「なに? どうしたの?」
峰崎君は、みんなの方へ近づき、手をさしのべたんだ。
すると、みんなは、ビクッとして、峰崎君から離れていった。
「どうしたっていうんだ? みんな変だよ!」

峰崎君は、みんなの態度に怒ったんだ。
その時に気がついた。
自分の手が、しわしわになっていることに。
「なんだっ、なんだこの手は!」

みんなが、じっと峰崎君のことを見ている。
はっと気づいた峰崎君は、自分の顔に触れてみたんだ。
そして、何度も、何度も自分の顔をなで回した。
指先に伝わってくる感触は、いつも自分がさわり慣れている顔の感触とは違っていた。

「おいおい、どういうことだよ……」
峰崎君は、その指先に感じる感触を確かめて、絶望的な気分になった。
その指先に感じる感触は、硬くて、しわしわになった皮膚の感触だったんだ。
パサパサと乾いた感触がする。

谷村君達は、必死になって、顔をなでている峰崎君を黙って見ているしかなかった。
そう、峰崎君の顔は、深くしわが刻み込まれたおじさんのような顔になっていたんだ。

まだ、二十二だった峰崎君は、今はどう見ても五十過ぎのおじさんにしか見えなかった。
「ははっ……はははっ……。俺の顔、どんな風になっちまったんだ?
なんだか、しわだらけになっちまってるぞ……。はははっ……ははっ……」
そういいながら、峰崎君は、ふらふらと歩き出したんだ。

谷村君達は、峰崎君のことを黙ってみているしかなかった。
いや、怖くて、動くことさえできなかったんだ。
峰崎君の老化は、まだ止まっていなかった。
そのスピードは、目で見てわかるほどだった。
だんだんと腰が曲がり、髪の毛がぼろぼろと抜けていく。

「あぁ……あぁ……」
峰崎君は、谷村君達に向かって何かいおうとしているが、聞き取ることができなかった。
開いた口からは、黄色くなった歯がぼろぼろとこぼれていく。
峰崎君は、ぼろぼろと涙をこぼしながら、とうとう倒れてしまい、二度と起きあがることはなかった。

谷村君は、それを見てはっと我に返り、峰崎君の所に駆け寄ったんだ。
腹ばいになっている峰崎君を起こしてみると、峰崎君の面影はどこにもなく、もうほとんどミイラのようにしか見えなかった。
(どうしてこんな風になってしまったんだ……)

谷村君は、峰崎君をそっと横たえ、冥福を祈った。
不思議と悲しくはなかった。
きっと、生前の姿と、あまりにもかけ離れていたからなんだろうな。
谷村君がそっと目を開け、立ち上がろうとした瞬間、一緒にいた女の子達が悲鳴を上げた。

あわてて見てみると、さっきの人たちが、こっちに向かって歩いてきていたんだ。
ゆっくり、ゆっくりとな。
その人たちは、みんな無表情で、ぼうっと前だけを見ながら歩いてくるんだ。

死んだ魚のような目は、どこを向いているのかわからなかった。
それが余計に恐怖をかき立てるんだ。
谷村君は、先頭を歩いてきている人を見て驚いた。
その人は、二十代の青年になっていたんだ。
まるで、話しかけた峰崎君から、生気を吸い取ったように……。

その人だけは、生き生きとした目をし、しっかりとした足取りで、こっちに歩いてきていた。
谷村君達は、次は自分の番かと思って、逃げだそうとした。
でも、腰が抜けたようになって、逃げるどころか身動き一つできなかったんだ。

女の子達は、お互いに抱き合って、ガタガタと震えていた。
谷村君は、恐怖で全身から汗が噴き出した。
唇は乾き、カラカラになったのどを潤すための唾液も出ない。
もう、すぐそこまで、彼らは近づいてきている!

(もうだめだ……)
谷村君は、ぎゅっと目を閉じた。
………………………………。
足音が、自分の横を通り過ぎ、離れていった。
谷村君は、そっと目を開け、後ろを振り返ってみたんだ。

すると、その人たちは、黙って頂上に向かって、歩いていっていた。
そして、深い霧の中へ消えていったんだ。
その一番後ろに、ミイラのようになった峰崎君を引き連れて……。
それから谷村君達は、逃げるように山を下りたんだ。

その日出発した山小屋に着いたのは、もう夜も更けてからだったんだけどな。
谷村君達は、山小屋の管理人にそのことを話したんだけど、そんな話は聞いたことがないっていわれてな。
結局、あの人たちがなんだったのかわからずじまいだったんだ。

ミイラのようになってしまった峰崎君、あれから消息不明になってな。
それから彼を見た人は、誰もいないんだ。
………………………………。
どうだい、葉子ちゃん。
山って不思議だろ?

山には、なにが起こってもおかしくないって、そんな雰囲気があるよな。
でも、山には、そんなことを吹き飛ばすほどの魅力があるんだ。
葉子ちゃん、今度おじさんと山に登ろうな。
なに、心配はしなくていいよ。
道具は、自分が用意してあげるから。

どうしたの?
なんだか嫌そうな顔をして……。
あ、そうか、今の話を聞いたから、山に登るのが怖いんだろ?
大丈夫、大丈夫。
おじさんは、逃げ足だけは速いから。
葉子ちゃんも、おじさんに負けないように逃げるんだぞ。
がはははははは!


       (二話目に続く)