晦−つきこもり
>二話目(真田泰明)
>R5

ふうん、葉子ちゃんは坂田が好みか、ははっ。
俺が主役ならいいとは、いってくれないんだね。
冗談だよ、ははっ。
まあ、主役はさっきいった通り坂田なんだけど。
坂田も、嬉しさ半分って感じだったよ。

片桐は役者としては先輩だったし、同じ事務所だったからね。
本当だったら、その点は気を使うべきところなんだけど、今回はスポンサーの意向も絡んでさ。
結局、そんな問題を残したまま、制作に入ったんだよ。
坂田もこれでメジャーの仲間入りだから、本当は喜ぶべきところなんだけどさ。

片桐に卑屈なくらい、気を使っていたよ。
でも、片桐は坂田と口をきこうとはしなかった。
それでも、坂田は嫌な顔一つしないで、笑顔で接していたけどね。
あるときこんなことがあった。
片桐が小道具の人に毒のことを聞いている。
それを坂田が見たんだ。

このドラマでも、殺人のシーンがいくつもあってさ。
毒殺しようとするシーン、崖から突き落とそうとするシーン、ナイフで刺し殺そうとするシーン、だいたいこんなものだったと思う。
坂田はその様子を見て、なんか嫌な予感を感じていたんだ。
しかし彼はその予感を否定しようとしたんだよ。

「片桐さん、いろいろあったけど、このドラマにかなり力を入れているらしいぞ」
「そうですね。この前俺のところに、毒について聞きにきましたよ」

「俺もさ、昨日、片桐さんの部屋に行ったら、毒を盛るシーンを練習しているのを見た」
坂田はこんな会話を小耳に挟んで、当惑した。
(役作りだ……、片桐さん、演技派だから……)
そう、何度も自分にいい聞かせる。

彼は困惑しながらも、平静を装ったんだ。
坂田はこの不安をふり払いたかった。
(片桐さんと、思い切って話してみよう……)
撮影に入って何日か経ったころ、彼はそう思い立って、片桐の部屋に向かったんだ。
彼は片桐の部屋の前に来た。

そして意を決して、ドアを叩く。
しかし、返事はなかった。
あきらめて彼は、ホテルの中を目的もなく歩きだした。
そして、裏庭に来たときだ。
片桐は裏庭のテラスで、あの毒を盛るシーンを練習していた。
その様子は無気味で、まるで本当の殺人をしているところを、見ているようだった。

そして最後に、大丈夫か、坂田、大丈夫かっていう台詞がかすかに聞こえたんだ。
そんな台詞は台本にあるわけなかった。
(殺される……)
坂田はそう思った。
そして、毒殺のシーンの撮影の日がきた。

撮影現場では人が激しく動きまわっている。
そんな中で坂田は不安を抱え、立ちすくんだ。
そして彼はその不安を何回も、何回も打ち消そうとした。
しかし、消しては浮かんでくるその不安を、払拭することはできなかったんだ。

このシーンでは片桐の入れたコーヒーを、飲まなくてはならない。
彼はカメラの前で堂々と俺を殺すわけはない、そう自分にいい聞かせた。
でも、それらは根拠がない考えにすぎない。
考えれば考えるほど、不安は増すばかりだ。
坂田は片桐を盗み見た。

片桐はスタッフから離れ、宙に目を漂わせている。
その様子には安心できる材料はなかった。
意を決して、坂田は小道具係の男に毒の話をしたんだ。
「このドラマに使う毒って、どういうものなのかな」
坂田は何気ない様子を装い、明るく聞いた。

「青酸性の毒ですよ。坂田さんも力が入ってますね、ははははっ」
その男は何も気付いた様子はなく、そんなことを話した。

「本物、簡単に手に入るのかな……」
「よくはわかりませんが、やる気になればってとこじゃないですか。
どうしてですか。なんか片桐さんもそんなこといっていたな」

「えっ……」
「なんか片桐さんも、役作りのために本物を見たいってことでした」
「…………」
「それであげたんですよ。その毒……」
「えっ……」

「ははっはははっ、冗談ですよ。
本物そっくりの粉をね」
そういい終わると、その男は立ち去った。
問題のシーンの撮影が始まった。
「シーン68いきます」
坂田の体は硬直している。
このシーンは、坂田の動きが少ない。

片桐は坂田に隠れて、毒をコーヒーに入れている。
そうわかっていても坂田は何もできなかった。
(もし……、もし、俺の思い過ごしだったら……)
そう思うと、その演技を中断できなかったんだ。
片桐はコーヒーを持ってきた。

このカットは長く、コーヒーを出すところから、飲むところまでをカメラが追い続ける。
彼はカップを見た。
このカットに台詞はない。
主人公と敵役との無言の駆け引きだけで、物語を演じるシーンだ。
坂田はコーヒーを飲んだ。

本能的にこんなにも危険を感じていたのに、坂田は演技をやめることができなかったんだ。
(お、思い過ごしだったのか……)
彼の心に安堵が広がった。
「カット! OK!」
スタッフにざわめきが走った。
そして、ディレクターが駆け寄っていく。

「最高だったよ、坂田君、このドラマで君も演技派の仲間入りだな、ははっ」
ディレクターは満面の笑みを浮かべている。
そして彼は片桐のところにいく。
坂田は片桐を見つめた。

すると、片桐が坂田の方を恐ろしい表情で見たんだ。
それはまるで魔物でも見るような目つきだった。
坂田はその場を離れた。
背後からはディレクターの声が聞こえる。
「さあ、いいドラマにするぞ!」
その日の坂田の出番は、これで終わりだった。

その夜、坂田は考えた。
(いったいどういうことなんだ……、単に俺の思い過ごしだったというのか……)
彼はベッドのサイドランプだけが灯った暗い部屋で、椅子に座っている。
そして消しては生まれる不安を打ち消していたんだ。

坂田はこのまま一人でいると、気が変になりそうだった。
次の日、片桐がロケバスに来た。
片桐の顔は真っ青で、少しやつれた感じだった。
しかし、スタッフのみんなは役作りだといって、それほど気にしている様子はない。

「片桐君、今日の演技も期待しているよ」
ディレクターは昨日の彼の演技に気をよくしている。
この日は、坂田が片桐に崖から落とされそうになるシーンの撮影があったんだ。

でも、はじめに行われたのは、そのドラマの発端になる片桐ふんする犯人役が、主人公の友達を殺すシーンや、崖の上でいい争うシーンなんかだった。
そして、その日の最後に崖から突き落とされそうになるシーンの撮影になる。
片桐はそれぞれのシーンを、そつなくこなしていく。

昨日のシーンの再現は、そこでは見られなかった。
あの鬼気迫る殺人者の迫力が、感じられなかったんだ。
(やっぱり、気のせいだったんだ……)
坂田はそう思った。
そして、最後の崖から突き落とされそうになるシーンだ。

「今日の片桐さん、調子でませんね」
「そうだな、でも次のシーンはちょっと期待できるかもしれないぞ」
「そうか、確かに、次の坂田さんを突き落とそうとするシーンは期待できるな」
そんな話題が、スタッフのあちこちで囁かれている。

今日、最後のシーンの撮影に入った。
片桐の目が輝きだした。
彼らの凄まじい口論がはじまった。
そしてもみ合いになる。
片桐は坂田を崖まで追い詰めた。
ここでこのカットは終了だ。
しかし、片桐は演技を止めなかった。

(なんだ、このカットはここでおしまいのはずじゃあ……)
坂田は力いっぱい抵抗する。
依然、ディレクターのOkはでない。
そして片桐は崖下へと、坂田を突き落としたんだ。
次に坂田が気がついたときには、ネットの上にいた。

崖に張り出した岩はセットだった。
そしてその岩がやさしく坂田をネットに導いてくれたんだ。
(いったいどういうことだ……、こういう予定だったか……)
彼は当惑した。
「坂田さん、大丈夫ですか」
スタッフがネットの上の坂田にやさしく手を差し伸べる。

彼はこの状況になんの疑問も持っていないようだった。
坂田は、スタッフみんなの自然な行動に流されて、自分の疑問をいえなかったんだ。
ディレクターは片桐のもとで賞賛を贈っている。

「よう、坂田君には怪我はないか」
「はい、大丈夫です」
坂田は笑うしかなかった。
片桐は坂田を無気味な顔で見つめている。
坂田は背筋が凍るような恐怖を覚えた。

しかし、彼はそんな気持ちを押し隠すかのように、片桐に笑い返したんだ。
そして坂田は片桐が自分を殺そうとしているという思いを、必死に否定しようとしたが、どうしても打ち消す事ができなかったんだ。
ドラマの中で殺されそうになるシーンがあとひとつ残っている。
彼は恐怖に震えた。

その日、宿泊しているホテルで解散するとき、坂田は片桐を見た。
すると片桐は、人間のものとは思えないほど冷たい目をして、坂田に笑いかけたんだ。
それは笑いとはいえない表情だった。
夜、坂田は部屋で一人震えていた。

(殺される、俺は殺されるんだ……)
坂田はそう確信していた。
あのシーンでネットを使う予定は無かったんだ。
次はナイフだ。
坂田はこれさえ乗り越えれば俺は助かる、そう思い立ち向かうことを決心した。

翌日、彼がロケに使うホテルの一室に行くと、片桐はまだいなかった。
その部屋は宿泊しているホテルの中だ。
しばらく、坂田はスタッフが忙しく走り回るのを見ていた。
坂田は服の下に自作の防弾チョッキのようなものを仕込んでいたんだ。

(これでもう大丈夫だ……)
心の中でそう繰り返す。
このことで坂田は辛うじて、逃げ出したい気持ちを押さえこんでいた。
そして、準備が一通り整ったところで、片桐が現れたんだ。
彼は青白い顔をして、無気味な笑みとも思える表情を浮かべている。

みんなは彼を何の違和感もなく、迎え入れている。
撮影の準備が整った。
(これを乗り越えれば……)
坂田は心でそう呟いた。
これから始まるシーンは、この部屋で二人が争うシーンで、ラストの前のちょっとした見せ場になる。
撮影が始まった。

カメラが回りだす。
ここは無言のシーンだ。
テーブルを挟み、ソファーに座る二人。
そして、無言で対峙する中で緊張が高まり、激しい乱闘になる。
格闘が始まった。
片桐が、持ってきたナイフで坂田に切り付ける。
それを坂田が避ける。

二人はそれを何回も、何回も繰り返した。
テーブルはひっくり返り、ソファーは倒れる。
部屋はぐちゃぐちゃだった。
もう、部屋や部屋の中の家具を傷つけてはいけないなんて、微塵も頭の中にはない、そんな感じだった。

彼ら二人はまるでスタッフすら目に入らない、そんな風に見えた。
二人はナイフを取り合い壮絶な死闘を演じ続けた。
ナイフは二人の間をいきかう。
そして、坂田の手をかすめたんだ。
彼は自分の手から流れる血を見ると、ナイフが本物だと確信した。

そしてやられる前にやるしかないと、坂田は思ったんだ。
彼らはさらに激しく争いだした。
そして坂田は徐々に追い詰められていったんだ。
彼の目にはスタッフは映っていない。

そしてベッドのサイドテーブルの壺を持つと振りかざし、片桐を襲ったんだ。
壺は頭に直撃する。
片桐は床に倒れ、辺りに沈黙が戻った。

そして、しばらくして誰かが叫んだんだ。
「救急車、誰か……、救急車!」
スタッフは時間の流れを取り戻した。
彼らは片桐に駆け寄ったんだ。
片桐は死んでいた。

そして、坂田は今、正気を失って病院に入っている。
結局、坂田の被害妄想ということで事件は解決したんだ。

あのナイフはイミテーションで本物じゃあない。
坂田の手の怪我は、争っている間にどこかで切ったんだよ。
何だったんだろうな……。
もしかしたら坂田はドラマという不思議な空間に捕らえられた被害者だったのかもしれないな。
俺の話はこれで終わりだ。
じゃあ、次の人どうぞ。


       (三話目に続く)