晦−つきこもり
>二話目(前田和子)
>A6

秋山君は、全身の力を抜いたの。
やがて、海水が目や耳や口に入り込んできたわ。
塩辛い水が、体からすべてをうばっていくような感じ。
死の間際でも、喉が痛くなるのね。

ギリギリまである身体の感覚に、秋山君は感動すら覚えていたの。
でね、彼は、波に飲まれてしまったのよ。
でも……その時、救助が来たの。
二人の様子を見ていた海岸の人が、助けを呼んだんじゃないかしら。

二人は幸いに、助けられたってわけ。
ねえねえ、溺れた人って、すごく助けにくいんだってね。
助けに来た人にしがみつくから、お互い沈んでしまったりするんでしょ。
でも、秋山君は死を覚悟していたから。

身体の力を抜いていたのが、かえってよかったのね。
二人は生き延び、事件はこれで済んだかに見えたわ。
でも、二人は二度と、元のように仲良くやっていくことができなかったの。
学校で会っても、お互いしらんふりよ。

そんなある日、秋山君はふとヒナキちゃんのことを考えたの。
ヒナキちゃんって、一体なんだったんだろう。
もう一度私有地に行ったら、又会えるだろうか。
そう思いながら、秋山君はふらりと私有地に向かったの。

そこには、確かに人影があったわ。
秋山君が、緊張しながら近づくと……。
ヒナキちゃんがいたの。
彼女は、うつむいて泣いていたのよ。
秋山君はごくりと唾を飲み込んで、ヒナキちゃんに話しかけたの。

「……ど、どうしたの?」
すると、ヒナキちゃんは涙で濡れた目をニイッとさせたの。
「あなたが中々来ないから、悲しかったの」
そういうヒナキちゃんの手には、何かが握られていたのよ。
ちらりと見えたそれは、田崎君の顔そっくりな……干し首のようなものだったの。

「ほら、田崎君はとっくに来てくれていたのに。秋山君は冷たいね」
ヒナキちゃんは、無気味に笑っていたの。
「な……そんなバカな! 田崎は毎日学校に……」
秋山君がいい終わらないうちに、ヒナキちゃんは手をすうっと差し伸べたの。

ヒナキちゃんの手が秋山君の首にかかると、彼は声にならない声をあげるしかなかったわ。
身体中の水分を吸い取られていくような感覚。
前に、海で溺れた時のような苦しさね。
今度は、だれも助けてくれなかった。

秋山君は、身体から魂が抜け出るような感覚に襲われたの。
「あなた、どうして海で溺れた時、無抵抗だったの? おかげで遅くなったわ。あなたの魂をもらうのが」
ヒナキちゃんは、ゆっくり微笑んだの。

「安心して。あなたも田崎君と同じにしてあげる」
ヒナキちゃんはそういうと、干物のような姿をした、秋山君の魂を握り締めたのよ。
死者の魂の姿って、美しいとは限らないんだってね。
死ぬ時に苦しめば苦しむほど、醜い姿になるんじゃないの?

秋山君の魂が抜けた身体には、誰か、別の人の霊が入ったみたいよ。
彼は、その頃性格が変わったそうだからね。
ねえ、ヒナキちゃんって何者なのかしら。
人の魂を取って、どうしようというのかしら。

この話には、後日談があってね。
ヒナキちゃんが、ある日私有地でお手玉をしていたんだって。
その時手にしていたものは……人間の、干し首のような姿をしていたんだって。
ああ、やだやだ。

実は、ヒナキちゃんの噂がこの辺の新聞に載ったことがあるのよ。
何通かの投書があったけれど、どれも無気味な話ばかり。
しばらく、空き地を見ると脅えてしまったわよ。
良夫にもいってあるの。

遊ぶ時は公園にしなさいって。
間違っても、よくわからない所には入るなって。
……じゃあ、そろそろ次の話を聞こうかしら。
次は、誰の番なの……?


       (三話目に続く)