晦−つきこもり
>二話目(鈴木由香里)
>B8

思い当たる節があるって顔だね。
自分でわかってるんなら、平気じゃん。
ほら、寝る子は育つっていうからさ。
ただし、火事と地震には気を付けなよ。
逃げ遅れないようにね。
とにかく、あっちゃんが、こういう子だったからさぁ。

私は、屋敷の中のことって、ほとんど知らないんだ。
食事をする広間と、お風呂とトイレぐらい?
それ以外の時は、ずーっと子供部屋に、いなきゃならなかったからさ。
それにしても、人なつっこい家族っていうのかなぁ。

私が、あっちゃんと子供部屋にいるじゃん。
するとね、まず、お婆さんがお菓子を持って入ってくるんだ。
「さあ、お食べなさい」
って。
それで、自分は、何するともなく部屋の隅で、ニコニコしながら私を見てるんだ。

次に来るのは、たいてい、あっちゃんのおばさんだった。
おばさんも、手土産にって、ジュースやアイスクリームを持ってくる。
そして、お婆さんの横に座って、やっぱり、ニコニコしながら私を見てるのさ。

そのうちに、おじさんや、あっちゃんのお父さん、お母さん、屋敷で飼ってる犬までが、子供部屋に押し掛けてきては、何するともなく私を見てるんだ。

いい?
私たちを……、じゃないんだよ。
あくまでも、みんなが見てるのは、私一人だったんだから。
ニコニコ、ニコニコ。
その表情がさぁ……、何か、不気味なんだよね。

一見、和やかな雰囲気に思えるんだけど、どこか緊張感が漂ってるっていうのかなぁ。
だいたい、普通の家だったら、父親や母親って、それぞれ仕事があるもんじゃん。
いくら、あっちゃんの家が金持ちでも、毎日こんなに、ブラブラ遊んでいられるわけないって。

そのうちに屋敷の人たちは、昼夜を問わず、私の周りをうろうろするようになった。
『覗き』ってわけじゃないんだけど、私がトイレに行けば、みんなゾロゾロついてきてたし、お風呂から出れば、誰かしらが廊下に立ってたし……。

とにかく、一人になれる空間が、皆無だったの。
それは、日がたつにつれて度合を増していったよ。
どんどん彼等の態度が、馴れ馴れしくなっていったのさ。
「由香里さん、一緒にお風呂に入りましょう」

「由香里さん、私と一緒に寝ましょうよ」
「由香里さん、はい、あーんして」
由香里さん……、由香里さん……。
もう、いい加減にしてって感じ?

私って、ベタベタしたスキンシップって、鳥肌が出ちゃうほど嫌いなの。
知ってるよねぇ?
でもね、端から見れば、とっても幸せそうな、仲睦まじい家族なんだよ。
近所の人たちの間では、

「お屋敷の人たちは、金持ちを鼻にかけない、親切な方ばかりだよ」
って、もっぱらの噂だったもん。
私は、まんまとその噂に騙されたって痛感してた。
あの恐怖は、一度、体験してみないとわかんないよ。

私は片っ端から、誘いを跳ねのけてったんだ。
一切、シャットアウト。
今、思えば、あの時、もう少しソフトに断わっておけば、あんな体験はしないですんだと思うんだけど……。
その日は珍しく、屋敷の家族が一人として、私のそばに寄ってこなかったんだ。

あっちゃんは、相変わらずわがままだったけどさぁ。
それでも、久々の静寂を楽しむことができたんだ。
事件が起こったのは、その夜。
微かに襖の開く音がして、私は目を覚ましたんだ。
目を細く開けて、辺りの様子をうかがうと……。

目が、暗闇に慣れるにしたがって、だんだんと部屋の様子が見えてくるじゃん。
部屋の中には、屋敷中の人間が集まってたの。
みんなはジーッと、私の顔を覗き込んでたんだ。
私は、もちろん、気付かないふりをしてたよ。

目を閉じて、気配だけうかがってた。
すると、ドロッとした密度の濃い液体が、私の口許に落ちてきたのさ。
すっぱい臭いが、鼻を刺激する。
「さあ、口を開けて」

この声は、あっちゃんの婆さんだ!
「そうそう、そうすれば、由香里さんの病気も治るんだから」
これは、おばさんの声かな?
そして、誰かわからないけど、親切と評判の家族の一人が、私の口を無理矢理こじ開け、その液体をいっきに流し込んだんだ。

その味のまずいこと!!
二度と、飲むもんかって味。
思わず見開いた私の目に映ったのは、ぐるっと周囲を取り囲んだ屋敷中の人、人、人。
こんなにいたかしら?
っていうくらい、たくさんの人が集まってたんだ。

みんなニコニコ、ニコニコ。
一見それは友好的な笑顔に見えるけど、その細められた目の奥には、ギラギラした嫌な光が瞬いてたよ。
私の口の中には、まだ例のドロッとした味が広がってて気持ち悪い。

「由香里さん? どうしたんだい」
「具合が悪いのは、由香里さんの中にいる病原体と、今飲んだお薬が戦っているからなんじゃよ」
「そうだなぁ、もう少し飲んだ方がいいかもしれないなぁ」
(やめてーーー!)

私は必死に抵抗したんだ。
それでも、多勢に無勢。
必死の抵抗もむなしく、私の口にはまたドロッとした感触が……。
遠くなっていく記憶の彼方で、あっちゃんたちの笑い声が渦巻いてたよ。

その夜は、そのまま気絶しちゃったけどさ。
次の早朝、私はさっさと荷物をまとめて、屋敷を後にしたよ。
幸い、屋敷の人たちはぐっすり眠ってた。
村の入り口で、長距離トラックを掴まえて、ヒッチハイクで自分の家に戻ったんだ。

そのトラックの運転手さんがいうには、私みたいに、あの屋敷から逃げてくる人って、けっこういるんだって。
その人も、今までに何回か、車に乗せてるっていってたし。
トラック仲間の間じゃ、わりと有名な場所になってるんだってさ。

逃げ出したのを運悪く気付かれて、トラックの後ろから屋敷の人間が追っかけてきたことがある人もいるとか……。
ヨチヨチ歩きの赤ちゃんや、杖を頼りに歩いてるような婆さんまでが、ヨタヨタと追っかけてくるんだよ。

追い付けっこないのは分かってても、やっぱりゾッとする光景だよね。
とにかく私は、自分の家に戻れたんだ。
これで、また以前の生活に戻れるって思った。
ところがね、今度は、何だか体の調子がおかしくって。

ひどい腹痛がしてしょうがないんだ。
仕方ないから、医者に行ったさ。
診断の結果は、私の胃に、異物が詰まってるってことだったの。
手術で取り出された、その異物っていうのは……。

脳味噌だったの!!
人間のじゃなかったよ。
よくわからなかったけど、犬か猫のものじゃないかって。
猿の脳味噌の料理があるって聞いたことはあったけど、あれって、シャーベットみたいなんでしょ?

私が飲み込んだのは、生だよ。
生!
するとさぁ、私にあのバイトを紹介した友達が、お見舞いに来てさぁ。
ニコニコしながらいったんだ。
「どう? 脳味噌はおいしかった?」
って。

彼女は知ってたんだよ。
あの屋敷の秘密を!
彼女がいうには、あの屋敷の人たちにとっては、『個人の自由』よりも、『みんな一緒』が大事なんだって。
で、一族みんながそんな考えだから、私みたいな個人主義者は、病気にしか思えないんだって。

だから、あの時、
「由香里さんの病気も治るんだから」
って、いってたんだよ。
脳味噌が薬になるっていうのは、いったい、どこから出た発想なんだか。
もちろん、その友達も、脳味噌を飲まされた一人なんだって。

彼女も、別の友達から同じように紹介されたっていってたから、不幸の手紙みたいに、ぐるぐる巡って行くものなんだね。
私も、一人、紹介しようと思ってるし。
できるだけ、協調性のなさそうな子を選んで……ね。

葉子には、まだ早いだろうけど、そのうちに順番が回ってくるかもよ。
……さ、私の話はこんなもんだよ。
次へ行こうか。


       (三話目に続く)