晦−つきこもり
>二話目(鈴木由香里)
>M11

葉子も、なかなか面白いこと考えるんだね。
そうかぁ、あれはお供えだったのかぁ。
うん、そうかもしれない。

その時は、そんなこと思いもしなかったからさぁ。
ただ、身体を硬くして、じっと動かなかったよ。
空井戸の上が静かになったのは、夜もだいぶ更けてからだったと思う。
再び、孤独に包まれたのさ。

その孤独の中で、私は考えてた。
守り神って何だろう? って。
あの母子の行動から見て、世間一般で信仰されてるような神様じゃないのは、明らかじゃん。
私の出した答えは……、人柱。
昔から、人柱を立てた橋や、建物は、壊れないっていわれてるじゃん。

あの有名な、万里の長城にだって人柱が埋められてるっていうよ。
今のような、工事技術のなかった時代じゃ、最後の手段だったのさ。
私が、この答えをはじき出した時、また、頭上から降ってくる物があったんだ。

それは、一本のロープだった。
(これを使って逃げろってこと?)
見上げても、暗くて誰の仕業なのかはわからない。
(どうしよう……?)
でも、迷いは一瞬だった。
このまま、じっとしてても始まらないってね。

私は、ロープがしっかりと支えられてるのを確認し、壁に上手に足を掛けながら、井戸から脱出したのさ。
井戸の上で待っていたのは、屋敷の家長である婆さんだった。
夕方、あの母子に殺されてた犬の飼い主だよ。

長患いで、ほとんど寝たきりだって聞いてたんだけど……。
婆さんは、私の手をとると、足音を忍ばせながら、急いで屋敷を離れた。
彼女はいったよ。

「こんな所にいたら、あんたまで殺されてしまう。あの母子の信じている神は、人の命を要求するんじゃ。信者は、これと決めた貢ぎ物に、新鮮な心臓の血を擦り付けて『印』とし……」
私は、思わず自分の頬を触ってた。

微かにヌルッとした感触。
暗くて、はっきりとは見えなかったけど、私の手には赤い血が付着してたはずだよ。
婆さんが、私を村の入り口まで案内すると、そこには、一台の長距離トラックが待ってたんだ。
婆さんが、私を逃がすために、知人に頼んでおいてくれたんだよ。

彼女は、別れ際にこういってた。
「由香里さん。私の命は、もう長くはないんじゃ。あんたには、あの屋敷に巣食う魔物が見えてるんだろう。私の命はなぁ、あいつ等に吸い取られてるんじゃ。あんたに、私のかたきをとって欲しいんじゃ。頼むよ」
って。

私は、遠く、小さくなっていく彼女に、何度もうなずいてたよ。
……こうして、私は無事に、化け物屋敷を逃げ出すことができたんだ。
自分の家に戻った後も、なんとなく、あの婆さんのことが忘れられなくってさぁ。

ふとした時に、彼女の声が聞こえるような気がするんだよね。
婆さんは、私が、あの屋敷を去ってから、ほぼ一年半後、眠るように息を引き取ったそうだよ。
もっとも、彼女の死を人から伝え聞いたのは、わりと最近のことなんだけどさ。

あの別れ際の約束、今でもちゃんと覚えてるよ。
約束を守るんだったら、婆さんの仇討ちをしなきゃいけないね。
だけどさ、実際の話。
もう二度と、あの屋敷には近付きたくないんだ。
何でって、私には『印』があるから。

本当だよ。
今は見えないだろうけど、夕方、真っ赤な夕焼けに照らされるとさぁ、私の右の頬に、赤黒い模様が浮かび上がるんだ。
だから、私、夕方は出歩かないことにしてる。
いつ、どこで、誰が見てるか、わかんないからね。

私が、あいつらに見つかるのが早いか。
あの血にまみれた、呪われた母子が、屋敷を食い潰すのが早いか。
そうだなぁ、あの母子に、私と同じ『印』を付けるっていうのも、一つの方法だよね。

目には目を。
呪いに対抗するには、呪い。
そうだなぁ、犬の心臓より強力な物を用意しなきゃね。
人間……なんて、悪趣味でいいかも。
今の世の中、一人、二人、人間が消えたからって、たいして影響ないじゃんね。

なーんだ。
そうすれば、婆さんとの約束も守れるじゃん。
もっと、早く気付けばよかった。

さ、これで話は終わりだよ。
次へ行こうか。


       (三話目に続く)