晦−つきこもり
>二話目(藤村正美)
>G5

そうでしょう。
吉村先生も、同じことを考えたのですわ。
だから、元来た方へ戻ることにしました。
何もいないのを、自分の目で確かめようとしたんですわね。

もし万が一、何かいたとしても、まだ見ていない廊下の先にいる可能性の方が高いじゃありませんか。
足元を照らし、先生は戻り出したのです。
ところが、懐中電灯の光の輪の中に、突如青白い足が浮かび上がったのですわ。

ふくらはぎから下しかない、一対の足が。
「ひっ!」
先生の心臓は、ちぢみあがりました。
思わず後ろに下がった拍子に、何かを踏んづけてしまったのです。

振り向くと、そこにも一対の足。
いいえ、気づくと、いつの間にか廊下は、数え切れないほどの足に埋め尽くされていたのです!
足たちは、少しずつ、少しずつ吉村先生に近づいてきます。

濡れた音をたてながら、ユラユラと揺れている様子は、海の底にいる不思議な生き物のようでした。
じっと見ているうちに、足たちが自分を責めているような気がしてくるのです。
もちろん、責められる覚えはありません。

それでも、非難するような雰囲気が、廊下に満ちています。
物いわぬ青白い足たちが、ジリジリと迫ってきます。
先生は耐えきれなくなって、絶叫しました。

その声は、遠く離れたナースステーションまで届いたんですの。
……みんなが駆けつけたとき、吉村先生は倒れていました。
そして目覚めた先生は、元の人格をなくしていたのです。
口からよだれを流し、へらへらと締まりのない笑いを浮かべて……。

同僚の医師の顔や、自分の名前さえも、覚えていないようでしたわ。
どこか、よその土地の病院に、入院なさったと聞きましたけれど。
それからしばらくして、奇妙な話を聞きましたわ。

病院が建つ前、あの土地には、小さな工場があったのですって。
もともと旧式の機械しかない上に、職員も足りなかったらしいのですわ。
けれど、経営者は作業効率のみを重視していたんですわね。
職員に重労働を強制し、逃げようとすると両膝の骨を砕いて、寮に放り込んでいたそうです。

そして、朝から晩まで仕事をさせたのですわね。
寮といっても、雨漏りするような間に合わせの小屋だったので、職員は次々と病気になりました。
やがて、ろくに治療もされないまま、みんな亡くなっていったのですわ。

しばらくして、工場の経営者は警察に逮捕されたのですって。
けれど、そんなことくらいで死んだ人が、浮かばれるものかしら。
もしかしたら今でも、彼らの怨念は、あの場所に残っているのじゃないかしら。

……それが、あの足かどうかは、わかりませんことよ。
そもそも、なぜ足だけなのか……という疑問は残ったままですし。
でも、あの病院には何かがいるんですわ。
その証拠に、日が暮れてから、病院内を一人で歩くことは禁じられてしまったんですもの。

私は怖くありませんけれどね。
なぜって……。
どんな悪霊も、私には手出ししないからですわ。
私は彼らの味方。
彼らの話を聞こうとする者なんですもの。
うふふ……私の話は、これで終わりですわ。
次の方、お願いしますわね。


       (三話目に続く)