晦−つきこもり
>二話目(藤村正美)
>K6

楽観的なのは、いいことですわ。
世の中には嫌なことがたくさんあるのに、楽観的でいられるなんて、うらやましいですわね。
……あら、嫌味ではありませんわよ。
本当に、いいことだと思っていますもの。

ただ、いつか足元をすくわれるかもしれない……ということだけ、覚えておくといいですわ。
吉村先生に、話を戻しましょう。
先生は、耳をすましてみました。
やっぱり、近づいてくる足音が聞こえます。

あまりの恐怖に、先生は、向かって右側のベッドの下に潜り込んだのですわ。
何とか全身が隠れた一瞬後、ドアを抜けて、白い何かがすべり込んできました。
先生は、体を固くしました。
足音が病室に入ってきます。

ぴしゃ、ぴしゃ……音が近づいてきました。
まっすぐ、自分の方に歩いてくるようです。
でも、そんなはずはない。
気のせいだ、気のせいに違いない……。
吉村先生は、半ば祈るような気持ちで、足音が通り過ぎるのを待ちました。

ところが、ベッドの真横で、足音が止まったのです。
あまりの恐怖で、先生が動けないでいると、いきなりベッドが持ち上がりました。
そこには髪を振り乱し、包帯で顔を隠した女が立っていたのですわ。

「せんせい……見つけたぁ」
はれぼったい目を糸のように細くして、女が笑いました。
そして、吉村先生が悲鳴をあげる間もなく、抱きついてきたのです。

「せんせい……足りないの。足りないのぉ」
これは、単なる足の霊なんかじゃない。
もっと邪悪で強大な、別のものだ!
先生はそう悟って、必死に抵抗しました。
けれど、何の役にも立たなかったのですわ。

「髪もあるの……手も背骨もあるの。足も手に入ったのに、まだ足りないのぉ」
どんどん力が抜けていく。
目の前が暗くなる。
この女が、何かをしているんだ……とわかっても、体が動かないんです。

「足りないの、せんせい……ちょうだい…………を、ちょうだい……」
女が、耳元でささやきました。
「そうすれば……きっと私は……」
……次の日、誰もいない病室で死んでいる吉村先生が、発見されました。

おだやかな表情で、まるで眠っているようでしたわ。
たった一つの点をのぞいては。
先生の胸には、ポッカリと大きな穴が開いていたのです。
中は、真っ赤な空洞になっていました。
そこにあるべきはずの心臓が、なくなっていたんですの。

病院内で起きた不祥事だというので、上層部はあわてたらしいですわ。
結局、どうやってか、もみ消したらしいですわね。
でも、先生の心臓が、どこに行ったのか……。
その疑問に答えられる人は、いませんでしたわ。

おそらく、包帯の女が持ち去ったんでしょうけれど。
彼女が足りないといっていたのは、心臓だったんですわね。
けれど……それ以外は全部、揃っていたのでしょうか。
どこで揃えたのでしょうか?
…………私には、何となくわかるような気がしますけれども。

なぜ、そんなことを知っているのか……不思議ですか?
うふふ……だって、わかるんですもの。
私は、死んだ人と話ができるんですわ。
今の話も、死んだ吉村先生から、直接聞いたんですの。

驚かなくてもいいんですのよ。
私が、普通の人とは違うってことは、おわかりでしょう?
私は、死者に選ばれた女。
死者の代弁者なのですわ。
うふふ……今も、聞こえていますわ。
この部屋の空気に惹かれて、集まってきた魂の声が。

何をいっているか、知りたいかしら……?
うふふ。
やっぱり、知らない方がよくってよ。
普通の人には、荷が重すぎるでしょうから。
じゃあ、次の人の話を聞きましょうか……。


       (三話目に続く)