晦−つきこもり
>三話目(鈴木由香里)
>L6

いるんだよなぁ、こういう人。
真面目っていうのが悪いこととは思わないけどさぁ、もうちょっと臨機応変って言葉を覚えた方がいいんじゃん?
きっちり型通りの対応しかできないと、いざって時に困るよ。
マニュアル通りのアクシデントばっかりじゃないんだからさ。

時には、はめを外してみるのも大事だと思うな。
私みたいにさ。
私は、その時の気分のままに行動してるからさ。

この時も、私は自分の泳ぎの腕を信じるあまり、
(あの人だって泳いでるんだもん。
私が、泳いだっていいじゃん!)
って、悪魔のささやきにのってしまったんだ。

監視員に見つからないように、こっそりと遊泳禁止区域に入る。
妙な緊張感があって、ドキドキしてたよ。
その時気付いたんだけどさぁ、浜辺の監視台からだと、遊泳禁止区域がほとんど見えないんだって。

観光客用に造られた土産屋や休憩所、ボートハウスなんかの死角に、ちょうど、すっぽり隠れちゃうんだ。
そうなると、もう私の天下じゃんね。
確かに遊泳禁止区域だけあって、底がやや深め。
立ち泳ぎしても、私の足は底に届かなかった。

もっとも、足が届かないことなんて、全然平気よ!
泳ぎには、ちょっと自信があったからね。
私は悠々と泳いでたよ。
で、ふっと、先に泳いでた、あの白い手の人のことを、思い出したんだ。

そういえば、姿が見えないな……と、辺りを見回すと……?
……パシャッ。
小さく水音を立てて、白い手が現れたのさ。
白くて細い、女の人の手だった。
その手は、ゆらゆらと手招きするように前後に揺れ、また海中に消えていく。

それを数回、繰り返してたと思うな。
私、その白い手に、ついてった覚えはないんだけどさぁ、もしかしたら、波に流されてたのかもしれない。
白い手は、いつのまにか、私の目の前に突き出されてたんだ。

えっ!?
と、思った時には遅かったの。
白い手が、フッと海中に沈むと同時に、私の足が引っ張られたのよ!
無防備な状態だったからね。
私の身体は、あっという間に海中へ。

その時、私の目に映ったのは……。
私の足首を、しっかりと掴んで離さない白い手……。
白い手の下には、骨の露出した白い顔が……!!
ぽっかりと穴の開いた目が、すがり付くように私を見てる。

助けて……、助けて……。
そんなふうに訴える声まで聞こえてくるようでさぁ。
私は、なんとかこの手を振りほどこうと、必死になってもがいたんだ。
でも、もがけばもがくほど、身体が沈んでいく。

もう駄目かなぁ……って考えが頭をよぎった時、
「大丈夫か! しっかりしろ!!」
って声が聞こえて、背後から私を引っ張り上げてくれる人がいたの。
こう……、下あごと首の間に、ウキのような物を挟んでね。

あれだけ強い力で引っ張ってた白い手が、嘘のようにスッと離れ、私は無事、助かったのよ。
私の命の恩人は、監視員のアルバイトをやってる学生だった。

後で知ったんだけど、高校の先輩だったんだって。
えーと、確か井上史郎先輩。

休憩明けの彼が、沖から戻ろうとしてると、遊泳禁止区域に私が入ってくのが見えて、慌てて、追っかけてきたんだって。
だから私が助かったのは、本当に運がよかったのよ。
その後は、周りの大人たちのキツーイお小言の嵐。

「遊泳禁止の札が見えないのか!
だから、溺れたりするんだ!!」
って、ガミガミいうんだもん。
まったく、こういう時だけ大人風吹かすんだから。
でもね、私、これだけははっきりいったよ。

「私は溺れたんじゃありません。
誰かが足を引っ張ったんです!」
って。
だって、いわれっぱなしじゃ悔しいじゃん!
だけどさ、誰も取り合ってくれなかったよ。

しょせん小娘の戯言としか、思ってなかったんじゃん?
だけどね、その小娘の戯言から、思わぬ物が出てきたのさ。
何って?
死体だよ。
私の事件があって、海水浴場側としてもビーチの模様替えが必要になったんだよ。

監視台の数を増やしたりして、安全なビーチのイメージを造り直さなきゃいけなかったしさ。
それで、あのテトラポットの大群を、一時撤去したんだって。
そうまでしないと、イメージって取り戻せないものなんだね。
その工事の時に、女の子の死体が発見されたんだよ。

発見されたのは、以前から行方不明になっていた女の子で、テトラポットに絡み付いていた太いワイヤーに足を挟んで、溺れ死んでたんだって。
潜って遊んでるうちに、うっかり挟まれちゃったんじゃん?

そこまでは、さすがにわかんないや。
その子ね、発見された時はほとんど白骨化していて、ぽっかりと穴の開いた二つ目で、じっと水面を見上げてたって……。
両腕を上へ伸ばしてさ……。

目と鼻の先では大勢の人が遊んでいるのに、誰一人として、あの子に気付かなかったんだよね。
死ぬまでも、死んでからも……。
きっと、誰かに気付いて欲しかったんじゃないかなぁ。

どう? 水辺で死ぬといっても、綺麗なものばかりじゃないんだよ。
水死体は特にね。

この少女だって、白骨化する前はガスが身体中に溜まってパツンパツンだったろうし、魚の餌になったことだってあると思うよ。

自分が死んだ後の身体に未練が残ると思うんなら、他の死に方にしなよ。
……さ、これで、私の見た死体の話はおしまい。
次へ行こうか。


       (四話目に続く)