晦−つきこもり
>三話目(鈴木由香里)
>T8

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」
みんな、こういうんだよね。
誰かが渡ってるのを見ると、
ま、いいかって感じで、自分も渡っちゃうの。
最初の一人になるのは嫌なんだけどさ。

私も、そういうとこあるのかなぁ。
(あの人だって泳いでるんだもん。
私が、泳いだっていいじゃん!)
って、悪魔のささやきにのってしまったんだ。

監視員に見つからないように、こっそりと遊泳禁止区域に入る。
妙な緊張感があって、ドキドキしてたよ。
その時気付いたんだけどさぁ、浜辺の監視台からだと、遊泳禁止区域がほとんど見えないんだって。

観光客用に造られた土産屋や休憩所、ボートハウスなんかの死角に、ちょうど、すっぽり隠れちゃうんだ。
そうなると、もう私の天下じゃんね。
確かに遊泳禁止区域だけあって、底がやや深め。
立ち泳ぎしても、私の足は底に届かなかった。

もっとも、足が届かないことなんて、全然平気よ!
泳ぎには、ちょっと自信があったからね。
私は悠々と泳いでたよ。
で、ふっと、先に泳いでた、あの白い手の人のことを、思い出したんだ。

そういえば、姿が見えないな……と、辺りを見回すと……?
……パシャッ。
小さく水音を立てて、白い手が現れたのさ。
白くて細い、女の人の手だった。
その手は、ゆらゆらと手招きするように前後に揺れ、また海中に消えていく。

それを数回、繰り返してたと思うな。
私、その白い手に、ついてった覚えはないんだけどさぁ、もしかしたら、波に流されてたのかもしれない。
白い手は、いつのまにか、私の目の前に突き出されてたんだ。

えっ!?
と、思った時には遅かったの。
白い手が、フッと海中に沈むと同時に、私の足が引っ張られたのよ!
無防備な状態だったからね。
私の身体は、あっという間に海中へ。

その時、私の目に映ったのは……。
私の足首を、しっかりと掴んで離さない白い手……。
白い手の下には、骨の露出した白い顔が……!!
ぽっかりと穴の開いた目が、すがり付くように私を見てる。

助けて……、助けて……。
そんなふうに訴える声まで聞こえてくるようでさぁ。
私は、なんとかこの手を振りほどこうと、必死になってもがいたんだ。
でも、もがけばもがくほど、身体が沈んでいく。

もう駄目かなぁ……って考えが頭をよぎった時、
「大丈夫か! しっかりしろ!!」
って声が聞こえて、背後から私を引っ張り上げてくれる人がいたの。
こう……、下あごと首の間に、ウキのような物を挟んでね。

あれだけ強い力で引っ張ってた白い手が、嘘のようにスッと離れ、私は無事、助かったのよ。
私の命の恩人は、監視員のアルバイトをやってる学生だった。

休憩明けの彼が、沖から戻ろうとしてると、遊泳禁止区域に私が入ってくのが見えて、慌てて、追っかけてきたんだって。
だから私が助かったのは、本当に運がよかったのよ。
その後は、周りの大人たちのキツーイお小言の嵐。

「遊泳禁止の札が見えないのか!
だから、溺れたりするんだ!!」
って、ガミガミいうんだもん。
まったく、こういう時だけ大人風吹かすんだから。
でもね、私、これだけははっきりいったよ。

「私は溺れたんじゃありません。
誰かが足を引っ張ったんです!」
って。
だって、いわれっぱなしじゃ悔しいじゃん!
だけどさ、誰も取り合ってくれなかったよ。

しょせん小娘の戯言としか、思ってなかったんじゃん?
だけどね、その小娘の戯言から、思わぬ物が出てきたのさ。
何って?
死体だよ。
私の事件があって、海水浴場側としてもビーチの模様替えが必要になったんだよ。

監視台の数を増やしたりして、安全なビーチのイメージを造り直さなきゃいけなかったしさ。
それで、あのテトラポットの大群を、一時撤去したんだって。
そうまでしないと、イメージって取り戻せないものなんだね。
その工事の時に、女の子の死体が発見されたんだよ。

発見されたのは、以前から行方不明になっていた女の子で、テトラポットに絡み付いていた太いワイヤーに足を挟んで、溺れ死んでたんだって。
潜って遊んでるうちに、うっかり挟まれちゃったんじゃん?

そこまでは、さすがにわかんないや。
その子ね、発見された時はほとんど白骨化していて、ぽっかりと穴の開いた二つ目で、じっと水面を見上げてたって……。
両腕を上へ伸ばしてさ……。

目と鼻の先では大勢の人が遊んでいるのに、誰一人として、あの子に気付かなかったんだよね。
死ぬまでも、死んでからも……。
きっと、誰かに気付いて欲しかったんじゃないかなぁ。

その点、私は葉子が殺してくれるんだよね。
なんてったって、この由香里姉さん特製の整理券を持ってるんだもん。
で、葉子。
いつ殺してくれるの? 方法は?

わかってる、秘密なんでしょ。
わかんない方が、どきどきするもんね。
葉子が殺してくれるまで、私、絶対に死なないで待ってるからね。
たとえ事故で死のうと、病気で死のうと、何度でも蘇ってくるから。

なんだか楽しくなってきちゃう。
台風が来る夜の、子供みたいな気分だよ。
じゃあ、この辺で終わろうか。
次へどうぞ。


       (四話目に続く)