晦−つきこもり
>三話目(藤村正美)
>H6

そうですわね。
嫌われても、不思議はないと思いますわ。
でも、浦野先生は怒ったりしなかったんです。
だんだんボロを出す武内さんを、あきれもせずに雇い続けていたんですわ。

だから、武内さんは調子に乗りました。
いますわよね、自分の立場も忘れて、大きな態度をとる人。
彼も、そういうタイプだったんですわ。
愛しい浦野先生に会えるのをいいことに、朝から晩まで入り浸って。

ある日のことでした。
武内さんが、いつものように浦野医院を訪れると、お休みだったんですわ。
不思議に思って裏口に回ると、鍵は開いていました。
図々しく中に入ると、明かりもつけない診察室に、浦野先生がいるじゃありませんか。

「どうしたんですか?」
彼の声に振り返った先生は、にっこりと微笑みました。
「今日は二人きりよ。このチャンスを待っていたの……」
武内さんは、のぼせ上がりました。
先生は自分を好きなんだ、と思い込んだのですわね。

天にも昇るような心地の彼の耳に、優しい声が響きます。
「さあ……目をつぶって……」
いわれた通り、彼はウットリと目を閉じました。
次の瞬間、目の上に激しい痛みが走りました。
切られたとすぐわかる、鋭くて重い痛みでしたわ。

続いて、熱い液体が顔を流れる感触。
「うわあっ」
彼は思わず、腕を突き出しました。
「あうっ!」
衝撃とともに、先生が突き飛ばされたようです。

しかし、目が開けられなくて、確認できません。
ゴソゴソと起き上がる気配がします。
「逃がさないわよ、絶対。あなたの眉の形は、とても理想的なんですもの……」
夢見るような、浦野先生の声。

事情はわかりませんが、武内さんの眉を欲しがっているようです。
それにしても、切り落とそうとするなんて!?
恐ろしくなって、彼は駆け出そうとしました。
けれど、それより早く、鋭い刃が彼を襲ったんですわ。

……彼が発見されたのは、それから二ヶ月後でした。
変な臭いがするという、近所の人の通報で、警察が来たんですわ。
踏み込まれたとき、机に向かっていた浦野先生は、冷静に振り向きました。

「何の用ですか。失礼でしょう」
けれど誰も、先生の言葉を聞いてはいませんでした。
いいえ、先生の顔さえ、見ていなかったのです。
それほど、机の上にあった物が衝撃的だったからですわ。

先生の肩越しに見えた、それは……大きなガラスビンでしたの。
中には透明な液体が、いっぱいに入っていました。
そして、浮かんでいる顔。
ガラス越しに、切れ長の目がこちらを見ています。
高い鼻、意志的なくちびる。

よく見ると、それらは丁寧に、縫い合わされているのですわ。
ちょっと見にはわからないほどの、精密さでした。
そして長いまつげの上には、武内さんの眉があったのです。
おぞましい顔でした。
そこには、パーツごとに見れば美しいのに、どこか歪んでいる不気味な顔が浮かんでいたのですわ。

悪趣味な昆虫標本のようでした。
浦野先生は、と見ると、いとおしそうにビンに頬ずりしているのです。
「やっと完成した……私の理想の顔……」
何度も、そうつぶやきながら。

先生は自分好みの顔を作るため、武内さんや他の男の人を近づけていたのでしょう。
お金や自分の美しさでさえ、そのための道具でしかなかったのですわ。
そして、とうとう完成させた……。

武内さんたちの遺体は、医院の屋上の焼却炉で見つかったそうです。
いいえ、中ではありません。
無造作に、横に積み上げてあったらしいですわ。
浦野先生には、パーツを切り取った後の体なんて、ゴミ以外の何物でもなかったのでしょう。

隠そうとも、していなかったんですものね。
……でも、先生は幸せだったのでしょうか?
私だったら、そんなの嫌ですわ。
顔だけの恋人なんて、いくらハンサムでも悲しいですわよね。

だから、私が同じことをやるなら、顔だけなんて半端なことはしませんわ。
体も、腕も脚も、ちゃんと好みのパーツを見つけますとも。
そう思うでしょう?
……うふふ、次の人の話を聞きましょうか。


       (四話目に続く)