晦−つきこもり
>三話目(藤村正美)
>L4

そうかもしれませんわね。
彼は入院したんですの。
それも彼にしてみれば、毎日先生に会える、絶好の手段に思えたに違いありません。
嬉しくて嬉しくて、だから気づかなかったんですわ。
あれほど予約でいっぱいの医院に、他の患者の姿が見えないことに。

ある晩のことでした。
武内さんのところに、浦野先生が回診に来たのです。
先生は注射器を持っていました。
「武内さん、あなたは私のように、美しくなりたいといったわね。今でも、その気持ちは変わっていないかしら?」

「もちろんです。僕は、先生にふさわしい男になりたい!」
彼は力強く、うなづきましたわ。
先生は、ベッドに腰かけました。
「嬉しいわ……」
甘い香水の匂いが、武内さんの鼻をくすぐりました。

「嬉しいわ、仲間が増えるなんて」
「えっ?」
問い返そうとした武内さんの腕に、ちくっと痛みが走りました。
いつの間にか、先生が注射針を刺し込んでいたのです。
その途端に、カーッと熱くなりました。

全身が熱を持ったようです。
体のあちらこちらが、猛烈にかゆくなりました。
彼は、爪で全身をかきむしります。
両手だけでは足りなくて、壁に背中をこすりつけたりもします。
かゆくて、かゆくてたまりません。

バリバリかくうちに、皮膚がひび割れてきました。
裂け目から、透明な液体がにじみ出ます。
でも、構ってはいられません。
かゆいのです。
かゆくて、かゆくて、変になりそうです。

皮膚の下を、筋肉の隙間を、小さな虫がはいまわっているようです。
機械のように、指が体をかきむしります。
少しずつ、皮膚がはがれてきました。
むけた皮の下には、少し赤みがかった肌が覗いています。

彼は、しまいには引きむしるようにして、古い皮を脱ぎ捨てました。
足も、顔もですわ。
丸裸になった彼の体は、ぬらぬらと濡れていました。
それはまるで、生まれたての動物のように見えたのです。

黙って見ていた浦野先生が、満足そうに微笑みました。
「これでいいわ。男性の仲間は少ないから、きっともててよ……」
その言葉を聞きながら、武内さんは鏡を見たのですわ。
そこに映っていたのは、見慣れた冴えない自分の顔では、ありませんでした。

鏡の中には、高い鼻と整った二重の、美しい男性がいたのです。
「これで、あなたも仲間よ。一ヶ月に一度、今のように脱皮しなくてはならないけれど、永遠に近い美しさを保つことができるわ」
浦野先生は、そういって彼の肩に触れました。

「この方法は時間がかかるけれど、確実に仲間を増やせるの。すでに、この町の四分の一は、私たちの仲間よ」
薄く笑った口元から、大きな犬歯が覗きました。
大きくて鋭い、まるでケモノの牙のような歯でしたわ。

自分は、人間以外のものになってしまったんだ……。
武内さんは、そう悟りましたわ。
でも、それが何だというのでしょう。
愛しい浦野先生の仲間になれたんですもの。

彼は幸せなんですわ。
その後、彼らがどうなったのか、私は知りません。
もしかしたら今頃は、どこかの町一つくらい、浦野先生や武内さんと同じものに、なってしまっているかもしれませんわね。
彼らが仲間を増やして、何をするつもりなのかは、知りません。

けれど、永遠の美しさのためなら仲間になってもいい……と思うのは、私一人なのでしょうか?
…………………………。
これで、私の話を終わりますわ。
次の方に話していただこうかしら。


       (四話目に続く)