晦−つきこもり
>四話目(真田泰明)
>F11

僕はスタジオに入った。
その中は真っ暗で、静まり返っている。
(とりあえず、この中に入れば大丈夫だ………)
僕はそう自分を勇気づけた。
そして電気のスイッチを探す。
中はさっき作業していたスタジオとほぼ同じ構成だ。

ただこの部屋は主に声優のアフレコに使用している。
僕は機材の所の椅子に座った。
そこからは、スタジオの内部がガラス越しに一望できる。
(あれ………)
スタジオの片隅の床が、何か黒ずんでいた。
僕は嫌な予感がする。

(確か監督はここのどこかのスタジオで、あの悲鳴を収録したんだよな………)
不気味な想像を僕はした。
そしてそのままジッとしている状況に、堪えられなくなってくる。
僕はガラスの向こうに入っていった。

中に入ると、僕は得体の知れない恐怖を感じる。
(いったい何なんだ………)
五感を総動員して、恐怖の原因を探った。
しかし僕には、その原因を、はっきりさせることはできなかった。
そして僕は更に奥に進み、あの黒ずんだ床に向かう。

(血だ………)
僕はそう確信した。
本当にそれが血だとすると、かなりの出血量だ。
(いったいどういう事なんだ………)
その血は乾きかけていた。
血が流れて、かなり時間が経っているようだ。

(誰かが、あの悲鳴に襲われたというわけではなさそうだ………)
僕はその血を見ながら、そう思った。
(しかし、誰の血なんだ………)
そう思いながら、周囲を見回す。

すると大型テレビの影から、人影のようなものが見えた。
僕はゆっくりそっちの方に向かう。
人影は徐々にその全貌が見えてきた。
(鈴木優子………)
あの悲鳴のアフレコが、うまくできなかったアイドルだった。

彼女はその無惨な姿からも、確認するまでもなく死んでいることがわかる。
(なぜ彼女が………)
僕は呆然と見つめた。
(まさか監督があの悲鳴を録るために………)
そんな想像が頭をかすめる。
僕は時が経つのも忘れ、そしてその場の僕は立ちすくんだ。

ドアの開く音で、僕は我に返った。
(誰だ………)
僕は同僚が気軽に声を掛けてくれることを期待する。
しかしそのような言葉はなかった。
スタジオの中を足音が響く。
僕は恐怖のあまり振り返れなかった。

(いったい、誰なんだ………)
そして足音が止まる。
(誰だよ………、悪い冗談は止めろよ………)
僕は心の中でそう呟いた。
「できの悪い役者なんて使いたくないよな」
監督の声だった。

「役者ができが悪いから、君にも迷惑をかけちゃったね」
彼は世間話をするように僕に語りかける。
僕は硬直した体を絞るように後ろを振り向いた。
そこにはぼんやりとした笑みを浮かべた監督がいた。
体じゅう怪我をしている。

彼も僕と同じように悲鳴に襲われたらしい。
「映画は興業じゃない………」
監督はそう寂しそうに呟いた。
スタジオが静寂に包まれる。
しばらくして、僕は沈黙に堪えかね、鈴木優子の死体の方を見た。
(死体がない………)

そこにはさっきまであった彼女の死体がなかった。
僕は周囲を見回る。
しかし、彼女の死体はどこにも無かった。
(いったい………)
僕は監督を見る。
彼は、そんな事どうでもいいというように、ぶつぶつと呟いていた。

(えっ………)
彼女が録音機器のところに立っている。
そして不気味に笑った。
オープンリールのスイッチが入った。
スピーカーから監督と彼女のいい争う会話が流れる。
彼女が怯える声、そして悲鳴。

監督は更に襲い続けているようだ。
そしてあの『最高の悲鳴』が流れる。
「これだよ、この悲鳴だよ。俺が求めていたのは………」
監督の声がテープから流れる。
僕は監督を見た。

彼は血だらけになって、満足そうな笑みを浮かべると、ゆっくりと崩れていった。
「監督………」
監督は死んだ。
そして録音装置の所には、もう彼女の姿はない。
彼女の復讐が終わったんだ。

だいたいこんな事件だったんだ。
彼はその後、しばらく入院したが、程なく退院して今は仕事に復帰している。
えっ、彼女の死体………。
ああ、あれは彼女が殺されていた場所にあったそうだよ。

警察はあのオープンリールを調べ、彼女を殺したのは監督だと結論づけた。
しかし問題は監督を殺したのは誰かということだった。
北田君のいうことを、警察は信じようとしなかったんだ。
まあ、当然といえば当然だよな。

だから初めは北田君が疑われたんだ。
しかし、動機もなければ状況も不自然だった。
彼のいうことも、言い訳にしては突拍子もないだろ。
だから結局、北田君は証拠不十分で釈放された。
そして監督は、罪を悔いての自殺ということになったよ。

蛇足だけどさ。

もしこのとき北田君が犯人にされてたらと思うと、他人事ではないよな。
えっ、あの悲鳴のテープ?
あれは今の倉庫にあるよ。
あれだけの悲鳴、処分するのは勿体ないだろ、ははっ。


       (五話目に続く)