晦−つきこもり
>四話目(藤村正美)
>E4

まあ、葉子ちゃんって素直なんですのね。
実は和田さんも、素直に注射をされたんです。
そして、その直後、猛烈な眠気に襲われて、寝てしまいました。
彼が眠った後、先生も部屋を出て行きましたわ。

けれど……やっぱり変ですわ。
私は、あんな医師を見たことがありません。
いくら大きな病院だといっても、全然知らない先生がいるなんて。
不思議に思いましたわ。
けれど、次の日は私、夜勤明けでお休みでしたの。

だから、その後何が起きたのか、自分の目では見られませんでした。
人から聞いた話になってしまうんですけれど……。
とにかく、和田さんが目覚めたら、次の日になっていたそうですわ。

やがて回診に来た医師は、昨日の先生とは別の人でしたの。
不思議に思った和田さんは、聞いてみたんですわ。
「あの、昨夜の先生は……?」
ところが、医師は看護婦と顔を見合わせました。
「夕べは、君のところに診察に行った者は、いないはずだが」

和田さんは、信じられない思いでした。
でも、自信がぐらついたのも確かですわ。
彼はまた、何となく納得してしまったんです。
気が弱いタイプなのかもしれませんわね。

そして、その晩のことでした。
またしても消灯後に、夕べの先生が現れたのです。
やっぱり、夢なんかじゃなかったんですわ。
先生は、ニコニコと近づいてきました。
「さあ、今日も注射をしようね。
君の病気は、きっと僕が治してあげるよ」

その笑顔に、何か妙なものを感じた和田さんは、怖くなったんですわ。
「せ、先生……先生は、何者なんですか? 昼間の先生は、知らないっていっていましたよ」
「僕を知らないだって? いけないなあ。この天才ドクター風間を知らないなんて、モグリに違いないよ」

先生は軽くいうと、注射器を近づけました。
そのとき、ドアが開いたのですわ。
「何をしているんですか、風間さん!」
看護婦と医師たちが数人、入ってきたかと思うと、先生を押さえつけました。

「何をするんだ! 僕は天才ドクターだぞ!!」
叫ぶ先生を、そのまま連れ出していきます。
一人残った先生が、和田さんに振り向きました。
「すいませんでした。大丈夫ですか」

「え、ええ……」
キツネにつままれたような気分で、彼は頷いたんですわ。
何とか、謎の注射をされなくて済んだのですものね。
「でも……あの、風間先生って、本当は何者なんですか?」
「ああ、彼は特別病棟の患者ですよ。自分を医者だと思っているらしいんです」

医者ではない?
しかも、特別病棟の患者?
特別って、もしかして……。
ということは、昨日された注射は…………。
あまりのショックに、和田さんは、そのまま気絶してしまったんですわ。

しばらくして、骨折が治った和田さんは、退院していきました。
けれど、未だに注射の中身は、わからないままなんですの。
風間さんに聞いても、答えてくれないでしょうしね。
気の弱い彼は、検査を受けることもできなかったのです。

もしも病原菌に感染していたら、と考えるだけでも、眠れなくなるんですものね。
でも、私は思うのですわ。
おそらく検査をしても、何も見つからないのじゃないかって。

風間さんが注射したのは、ただの栄養剤だったかもしれないし……彼自身が調合した、現代医学では発見できないような物質なのかもしれません。
こんなことを考えるのは、おかしいですかしら。
それでも、風間さんに限っては、あり得ないこととは思えないのですわ。

葉子ちゃんも、きっとその目で風間さんを見れば、何となくわかってもらえると思うんですけれど。
とにかく、和田さんは一生、不安を引きずったまま生きていくんですわ。

途中で発病したり、不測の事態が起きやしないかと、心配しながら……。
不幸な人生ですわよね。
それでは、これで話を終わりますわね。
次は、どなたが話すのかしら?


       (五話目に続く)