晦−つきこもり
>四話目(前田良夫)
>C10

葉子ネエって、プライドないのかよ?
俺は、自分を殺そうとする相手に、ヘコヘコするなんてやだね。
だから「いやだ」って、いってやったよ。
園部は、ギョロッと俺の顔をのぞき込んだ。

油みたいにギラギラ光ってる目が、細くなった。
赤いしたが、くちびるをなめた。
それから、にーっと笑っていったんだ。
「じゃあ、死になさい!」
上履きを履いてる方の足が、後ろからドガッと、俺の背中をけった。

息ができなくて、目の前が真っ赤になったぜ。
このまま、俺をけり落とす気なんだ!
園部は、何回も何回も俺をけった。
痛いなんてもんじゃない。
背骨が折れたような気がしたぜ。

汗で濡れた手が、ちょっとずつコンクリートからずれてく。
このまま手が離れたら、あっという間に突き落とされちまうよ。
本当に死んじゃうぜ!
そう思った俺は、あいつが足を後ろに下げた隙を狙って、自分から手を離した。

それから、こぶしを握って、背中越しに振り回したんだ。
「ぎゃあっ!」
どすっと鈍い音がして、腕がしびれた。
園部の腹にモロに入ったんだよ。
ヤツは腹を押さえて、ヨロヨロしてた。

今だ!
俺は、転がるようにへりから離れた。
その間も、ヤツから目は離さなかったよ。
園部のふらついた足が、コンクリートの出っ張りにつまづいた。

「あっ!」
「きゃああーーーーっ!!」
バランスを崩した園部は、へりの向こうに飛び出したんだ。
あいつの姿が見えなくなって、次の瞬間。
ぐしゃっという音が、下の方から聞こえたんだ。

「きゃーっ!」
「誰か落ちたぞ!」
みんなが騒いでる。
だけど、俺はボーッとして動けなかった。
……俺?
ううん、先生には見つからなかったし、誰にも何もいわれなかった。

だけど、やっぱり園部は魔女だったと思うんだよ。
何でかって?
……あれから俺、園部にたたられちゃったんだもん。
そういったきり、良夫はうつむいた。
たたられたって、どういうこと?

聞こうとしたとき、切り裂くような悲鳴が聞こえた。
……続いて、何か重い物が、地面にたたきつけられるような音。
一瞬の凍りつくような沈黙の後、私たちは立ち上がった。
哲夫おじさんは、もうふすまに手をかけている。

「行かなくていいよ!」
甲高い良夫の声が響いた。
座り込んだまま、くちびるをかんで、うつむいている。
泣きべそをかいているのかもしれない。
「……行っちゃ駄目だよ」
「そんなわけには、いかないだろ。
事故かもしれないんだから」

泰明さんが、たしなめるような口調でいった。
それから、哲夫おじさんに続いて飛び出していく。
ちょっと遅れて、由香里姉さんたちが続く。
もちろん、私もついていった。
泰明さんと一緒なら、怖くなんてないもの。

広い広い庭には、母屋の明かりも届かない暗闇が、広がっていた。
でも、誰もいない。
倒れている人も、悲鳴をあげた女の人も、影も形もない。
夢なんかじゃない。
私たちは、確かに悲鳴と、何かが落ちてくる音を聞いたのに……。

…………ちょっと待って。
何かが落ちてくるって、いったいどこから?
母屋は昔風の作りで、確かに屋根が高いけれど、落ちてもあんな音はしないだろう。
第一、どうやったら登れるのかだって……。

「だから、いったのに」
いつの間にか、後ろに立っていた良夫がつぶやいた。
「俺は、園部にたたられちゃったんだってば。あれから毎晩、俺にはこの音が聞こえるんだよ。何度も、何度もね」
「よ、良夫……」

良夫は、見たこともないような暗い表情をしていた。
「俺にしか聞こえなかったんだ。
母ちゃんにも、聞こえてなかったはずさ。それが、今日に限ってみんなに聞こえるなんて……園部、話したこと怒ってんのかなあ」
ひとりごとのようにいって、とぼとぼと家の中に入っていく。

私たちは、つられるように後に続いた。
家に入った瞬間。
切り裂くような悲鳴が、背中越しに響いた。
そしてまた、重たい何かが、地面にたたきつけられるような音も。

立ち止まった私に、良夫が、ギクッとするほど鋭い声を投げかけた。
「見ちゃ駄目だ。振り向いて、何かいるのを見ちゃったら、葉子ネエだってたたられちゃうかもしれないぞ!」
そんなこと、信じられない。

だけど…………。
「行こう。部屋に戻って、次の話を聞こうよ」
良夫の声に被さるように、また悲鳴が聞こえた。
重苦しい、ドサッという音が、それに続く。
…………良夫のいうとおりにした方が、いいような気がする。

私たちは黙ったまま、部屋に戻ることにした。
話に熱中すれば、あの音も聞こえなくなるかもしれないわ……。


       (五話目に続く)