晦−つきこもり
>五話目(真田泰明)
>E3

ははっ、正解だよ。
それが一番、一般的な方法だ。
最近では水中で会話する装置なんかもあるんだけどね。
でもそのときは、それを使わなかった。
クジラが声に警戒して、近づかないかもしれないからだ。

水中の撮影班はカメラマンと、もう一人のダイバーがサポートについていた。
カメラマンは横山さんというベテランで、サポートのダイバーは渡辺といったんだ。
このときは予備調査みたいなものだったんで、小規模なものだった。
俺達は彼等が戻るのを待った。

しかし予定の時間を過ぎても、彼等は戻ってこなかったんだ。
「どうしたんでしょう………」
スタッフの一人が不安そうに俺の顔を見る。
「ちょっと遅れているだけだろ」
俺にも不安が過ぎったが、そういうことで自分自身の不安をぬぐい去ろうとした。

しかし程なく、海面に人影が現れたんだ。
「泰明さん、戻りました」
さっきのスタッフは、嬉しそうに俺に叫んだ。
人影は船尾の梯子に回った。
「しかし泰明さん、横山さんがいませんが………」
確かに、横山さんの姿がない。

それに、撮影機材も浮上してきていなかったんだ。
船上に渡辺が上がった。
俺達は彼の周りに集まる。
機材を脱ぐ渡辺を、船上のスタッフは静かに見守った。
彼はなかなか口を開かない。
「渡辺、横山さんは………」
スタッフの人が渡辺に話しかけた。

「………………」
渡辺の口は重かった。
「渡辺!」
俺は思わず、怒鳴るようにいう。
「………サ、サメが………」
少し間を置くと、彼がうつむきながら呟いた。
「やられたのか………」
俺は問いつめるように聞く。

「いいえ、ただ海底に………、もうエアーが、ありません………」
彼はもう横山さんが死ぬと、確信しているようだった。
「なんとか………、何か方法はないのか………」
俺はスタッフを見回した。
しかし、スタッフは何も言葉を発しなかったんだ。

俺は船長を見た。
しかし、彼はただ首を振るだけだったんだ。
「何で、こんなことになったんだ………」
俺は近くにあった空気のタンクを、手辺りしだい、海に放り込んだ。
そして俺は船の縁にいき、海面を見つめた。

しかし海面には程なく、赤い血がにじみ出す。
「………………」
俺には何も言葉がなかった。
そして彼が使っていた機材が、海面に浮かんでくる。
もう俺には、目を反らすことしかできなかった。

彼の使っていた機材は、間もなく到着した海上保安庁の船に回収された。
そして俺達は島に戻ったんだ。
その夜、局との相談の結果、撮影は継続することになった。
スタッフのみんなは、それを聞いて浮かない顔をしたが、仕事だからしょうがないという感じだったよ。

それから三日後、撮影が再開された。
ダイバーの近くには、サメの襲撃に備えて、ダイバーが逃げ込むための檻も一緒に沈める。
そしてスタッフの一人に、魚群探知機でサメの接近を監視させたんだ。
そんな感じで一週間は、無事に撮影を進めることができた。

撮影は後、二、三日で終わる予定だ。
みんなは緊張がゆるんできたようだった。
そして翌日も撮影がおこなわれたんだ。
このときもいつもと同じように、サメ対策の檻も海中に沈めた。
撮影は順調だった。

しかし突然、緊張が走った。
サメが出たんだ。
ダイバーの何人かは、船上に逃げ帰った。
そして、俺達は残りのダイバーが檻の中に退避したのを確認すると、それを引き上げたんだ。

「今回は事なきを得たようだな………」
俺は緊張したが、何とかなりそうだと思っていたんだ。
しかし、その檻を上げてみるとそこには誰一人いなかった。
ただそこには彼等が付けていた機材だけが入っていたんだ。
そして総ての檻がみんなそんな状態だった。

(いったいなんなんだ………)
船上のスタッフは沈黙し、当惑した。
また犠牲者が出たんだ。
海上保安庁に連絡したけど、その日はなかなか来ない。
それに途中で無線が通じなくなってしまったんだよ。
(今日に限って………)
俺達は途方に暮れた。

「とにかく、周辺を探して見ませんか」
船長がそう提案する。
俺は彼の意見に同意した。
(ジッとしていても、気が滅入るだけだ………)
そう思っていたんだ。

「真田さん、大変です。………エ、エンジンが故障しています………」
船長が俺にそう叫ぶ。
俺は船尾に走った。
その船は双発だったが、二機のエンジンが両方とも故障していたんだ。
辺りは段々波が荒れ出し、そして空を黒い雲が覆いだした。

「とにかく、海上保安庁を待ちましょう」
俺は船長にそういった。
辺りには、かなり風も吹き出している。
そして小雨もぱらついてきた。
船上のスタッフは怯えだす。
スタッフの悲鳴だ。
俺は悲鳴の方をみた。

そこには、船をよじ登る黒い人影があった。
またもや、悲鳴が轟く。
そこにもまた、黒い人影が縁に取り付いている。
(いったい、何なんだ………)
今度は船長の悲鳴だった。
俺が振り返ると、船長に黒い影がしがみついている。
(よ……、横山さん………)

その黒い人影は横山さんだった。
いや、だったのかもしれない。
彼の皮膚には、鱗のようなものがあり、ぬるぬると光る緑色をしている。
そして船長も海に突き落とされた。
船のあちこちで同じような光景がみられた。

船上のスタッフは海に引きずりこまれ、もうほとんど残っていない。
俺は覚悟を決めた。
(……最期か………)
そう思いながら、横山さんの方を見た。
彼はゆっくり俺に近づく。

「す、すいませんでした………」
俺は、目の前に来た横山さんに謝ったんだ。
「真田さん………、ありがとう………」
彼はそういって、まるで笑っているように見えた。
雲が切れ、太陽が差し込む。

そして船上の黒い影は日の光に溶けるように、消えていったんだ。
俺はその後、駆けつけた海上保安庁の船に救助された。
そして、職員の人に事情を説明したんだ。
彼等はその話を聞くと、真っ青な顔をした。

俺はその態度に不信を感じ、聞いてみたんだ。
しかし彼等は黙して語らなかった。
そのときの出来事が、いったい何なんだかわからない。
結局、俺はあの出来事について、それ以上のことは知らないんだ。

局に戻っても、責任を追及されることはなかった。
海上保安庁から何か連絡があったようだ。
………………まあ、俺の話はこれで終わりにするよ。
じゃあ、次の人の番だな。


       (六話目に続く)