晦−つきこもり
>五話目(真田泰明)
>G4

そう、俺が二、三日休めといったんだけどさ。
渡辺は横山さんのためにもやらせて下さいといって、付いて来たんだ。
結局、俺は渡辺を連れていくとにした。

「再スタートには、絶好の日和ですね」
スタッフの一人が空を仰いで、そういった。
確かにその日は、雲一つ無い青空だったんだ。
そして二時間ほど船を走らせると、クジラが出るポイントに着いた。

スタッフは素早く準備を終え、海に入り始める。
このときはカメラマン二人と、それぞれにサポートを二人ずつつけたんだ。
「泰明さん、俺は………」
今回の撮影に組み込まれなかった渡辺が、俺に自分の役割を聞いた。

「今日は船の上にいるのが、お前の仕事だ」
俺は、渡辺を休ませようと思ったんだ。
「しかし………」
渡辺は言葉を続けようとしたが、俺達はその場を離れ、船室の魚群探知機の所に行った。
魚群探知機には、何も映っていない。

(クジラの影は、無しか………)
俺は渡辺を見た。
渡辺は沖の方を、呆然として眺めている。
そのとき俺を呼ぶ、声がした。
「泰明さん、B班が忘れ物をしているんですが………」
スタッフが撮影用の小物を持ってきた。

それは特に重要ではないものだった。
俺はほっとこうと思ったが、それを渡辺に届けさせることにしたんだ。
(まあ、海に潜れば気が晴れるだろう………)
そう思って、渡辺を呼んだ。

「なんですか………、泰明さん」
彼は俺のところに来ると、呟くようにいう。
「これをB班の鈴木さんのところに、届けてくれ………」
俺は渡辺の喜ぶ顔を期待した。
しかし彼は、俺の言葉を聞くと、浮かない顔をしたんだ。

「どうした、渡辺………」
俺は少し戸惑った。
しかしその浮かない顔はすぐに消え、笑みを浮かべる。
「はい、わかりました」
そういって、渡辺は準備を整え、海に入った。
今思うと、彼はそのとき、恐怖と戦っていたんじゃないかな。

取り敢えず、彼はアンカーロープを伝わって潜水した。
すると鈴木さんは、程なく見つかったんだ。
そして忘れ物を届けると、浮上を始めた。
カメラが待機しているのは、三十メートル以上の海底だ。
彼は三メートルほどのところまで浮上すると、減圧を始めた。

えっ、減圧?
まあ簡単に説明すると、深い海から急に浮上すると気分が悪くなるんだよ。
潜水病って、聞いたことないかな。
ようするに、それの予防法ってところだ。
大体わかったかな。
じゃあ、話を戻すよ。

渡辺は時間を経過するのを待った。
しかしそのとき誰もいない筈の外洋の海で、背中を叩かれた様な気がしたんだ。
(ク、クラゲか………)
彼は振り向いた。
そこには、横山さんの死体があったんだ。

彼は、その死体を振り切って浮上した。
そして船の梯子に取り付くと、フィンを脱ぎ捨て梯子を登ったんだ。
俺は渡辺の悲鳴を聞き、船室を出た。
すると船尾に梯子を登る渡辺の姿が見えたんだ。
(な、なんだ………)

俺は唖然として、彼を見た。
渡辺は腐乱死体を背負って、梯子を上がってきたんだよ。
彼の背中にタンクはなく、そこには死体があったんだ。
なぜあの海流の早い海で、横山さんの死体が一週間も同じ場所にあったのかは、結局わからなかった。

渡辺は今でも、病院で悪夢と格闘している。
当分、彼が病院からでることはないと思うよ。
撮影の方はなんとか終わらせ、放映は無事に行われた。
この話は、病院で渡辺が、うわ言のように話したことなんだけどさ。

真実なのか、それとも自責の念が作り出した妄想なのかはわからない。
結局、謎だけが残った、そんな出来事だった。
まあ、俺の話はこれで終わりだ。
じゃあ、次の人の番だな。


       (六話目に続く)