晦−つきこもり
>五話目(藤村正美)
>A9

そうですの、彼女と同じですわね。
本気で怒っていた彼女は、ノックと同時にドアを開けました。
中には、やはり更紗ちゃんがいました。
少し青ざめて、ベッドに腰かけています。

「どうかしましたか? 少し眠らないと、体に毒ですよ」
更紗ちゃんの前に置いた、椅子に座っていた恭介さんが、立ち上がって歩いてきました。
心配そうに、やさしく肩に手を置きます。

「誰のせいで、眠れないと思ってるんですか!?」
怒鳴ろうとした彼女の首筋に、チクッと痛みが走りました。
驚いてさわると、ベットリと血がつきます。
「何のつもりなんですっ!?」
悲鳴をあげた彼女を、恭介さんが素早く押さえつけます。

「ちょうどいい。さあ、更紗!」
更紗ちゃんは、ぶるぶると震えています。
怯えているようですが、そのくせ目はしっかりと、彼女の首筋を見つめているのですわ。
熱っぽく、ウットリとしたその視線に、彼女は寒気を覚えました。

「更紗、おいで」
恭介さんが、重ねて呼びかけます。
更紗ちゃんは立ち上がり、まるで雲の上を歩くような足どりで、こちらへ向かってきます。
何かおかしい。
彼女の頭の中で、警報が鳴り出しました。

けれど、もう遅かったのですわ。
たくましい恭介さんの腕で捕まえられて、か弱い女性の身で何ができるでしょう。
逃げようとしても、相手は屋敷を知り尽くしていますものね。
圧倒的に不利ですわ。
それでも、彼女は冷静に考えをめぐらせていました。

最後の最後まであきらめない、ということが、りっぱな看護婦の条件の一つですのよ。
けれど、その理性も、最期の瞬間に消し飛びました。
そう……更紗ちゃんの、金色に光る目を見た瞬間に。
彼女の悲鳴が途切れると、屋敷の中は静まり返りました。

陰気な……まるで、墓場のような沈黙に覆われて。
しばらくして、更紗ちゃんは顔を上げました。
恨めしげに、傍らの恭介さんに振り向きます。

「ひどい……兄さん。私、もうこんなこと、したくないのに……」
「しかたないよ、更紗。僕は義母さんに、おまえのことを頼まれたんだから」
恭介さんは、やさしく更紗ちゃんの頭をなでてやりましたわ。

更紗ちゃんは悲しげに、冷たくなった新しい犠牲者……つまり、看護婦の彼女の体を見つめていました。
首筋には、さっきまで更紗ちゃん自身が血をすすっていた、生々しい傷口が残っています。

「兄さん、私……どうして、兄さんたちと違う生き物なのかしら」
つぶやく更紗ちゃんの姿は、泣き出しそうな声と裏腹に、輝くような美しさだったそうですわ。
……葉子ちゃん、吸血鬼のお話は、知っていますわよね。

日の光を忌み嫌い、血液を食料とする闇の一族。
あれは、単なるお話なのでしょうか?
遠いヨーロッパの国々だけでなく、この日本の古い書物にも、血を好む一族のことが載っていますわ。

もちろん、貿易の発達とともに、そういう伝説が伝わっていった……とも考えられますわね。
けれど、本当はそうでないとしたら。
実際、今世紀に入ってからも、全身の血を失って亡くなったという事件があるのは、なぜなのでしょうね。

もしかして、更紗ちゃんは…………。
いいえ、私はこういうことに興味があって、人より少し詳しいだけですわ。
確証があって、いっているのではありませんけれど。
……看護婦の彼女ですか?
行方不明のままですわ。

もともと身寄りのいない人だったので、誰も捜さなかったのでしょうね。
あの屋敷のある、深い森のどこかにでも、埋められていると思いますわよ。
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…………うふふ。
なぜ、こんなことを知っているのかっていうんですの?
私のところへね、来るんですのよ……彼女が。

きっと、遺体を早く、見つけてほしいのじゃないかしら。
私が霊と話ができるのを知って、同僚のよしみで捜してくれなんて、いうんですの。
けれど、まっぴらですわよ。
更紗ちゃんたちに見つかったら、大変ですものねえ。

まあ、そのうち気が向いたら、行ってみようかとも思うんですけれど。
私って基本的に、お人好しで損をするタイプなんですわね……うふふ。
これで、私の話は終わりですわ。
まだ話していないのは、どなただったかしら?


       (六話目に続く)