晦−つきこもり
>五話目(藤村正美)
>F11

そうですわよね。
ちょっと、驚いてしまいましたわ。
彼女も、もちろん話し合おうなんてしませんでした。
正確には、それどころではなかったのでしょうけれど。
彼女が恐怖に駆られて、悲鳴をあげようとしたそのとき。

突然、激しいノックの音がしました。
「兄さん! もうやめて!」
叫んで、飛び込んできたのは、更紗ちゃんです。
「兄さんのやってることは、おかしいわ!」
怒ったような顔で、恭介さんと手術台の間に割り込みます。

「何をいうんだ、更紗。僕は、おまえが住むにふさわしい楽園を、この屋敷に作ろうとしているんだよ」
「頼んでない! こんな……こんなひどいこと!」
更紗ちゃんが、壁一面に張り巡らされたカーテンを、力一杯引っ張りました。

ビリビリと布が裂け、隠されていた空間が、あらわになります。
そこに現れたのは…………!
美しい女性が、伏し目がちに座っていました。

その腰から下には、びっしりとウロコが生えて……本来、二本の脚であるべき部分が、流れるような曲線の魚の尾になっているのです。
伝説の人魚、そのものの姿でした。

その後ろには、たくましい馬の首から、すらりと細身の体を生やした少年が、眠るように目をつむっています。
おそらく、人馬……いわゆるケンタウロスなのでしょう。
それだけでは、ありませんわ。
そんな奇妙な生物たちが、何体も何体も、ひっそりとたたずんでいるのです。

「更紗、乱暴はしちゃいけない。
外に出られないおまえのために、兄さんが作った楽園だよ」
穏やかな恭介さんの声が、かえって不気味です。
それによく見れば、その生き物たちの体の境目には、不自然なしわや縫い目のようなものがあったのですわ。

「やめてちょうだい、兄さん!」
更紗ちゃんが叫んで、恭介さんに飛びかかりました。
二人はもつれ合うように倒れ、そして。
…………気がついたときには、更紗ちゃんが胸から血を流し、ぐったりしていました。

深々と、恭介さんのメスが突き刺さっています。
「更紗!」
恭介さんが、あわてて抱き起こしました。
「兄さん……お願い……」
か細い声が、やっとのことでそれだけ、つぶやきました。

そしてそれっきり、更紗ちゃんは息を引き取ってしまったのですって。
「更紗? 更紗!!」
恭介さんは真っ青になって、妹の体を揺さぶりました。
それでも反応がないとわかると、彼の中で、張りつめていたものが切れたようでしたわ。

「更紗……ようし、最後の仕上げだ」
呆然と見守る彼女に気づかないように、恭介さんは更紗ちゃんの体をうつ伏せにしました。
それから、白い巨大な羽根を取り出しましたわ。
大きさから見て、白鳥の羽根でしょうか。

恭介さんは、嬉しそうにその羽根を、更紗ちゃんの背中に縫いつけ始めたのです。
「これでやっと、完成するよ。おとぎの国の中にいる、天使の更紗。僕の、長い間の夢だったんだ……」
クスクスと笑いながら、恭介さんはひとりごとをいっていたそうです。

その隙に、彼女は手足のロープをほどいて、何とか逃げてきたのですって。

屋敷が、それからどうなったかですって?
さあ、わかりませんわ。
今の話だって、彼女から無理矢理聞いたようなものですしね。
ただ、彼女はいっていましたわ。
あの深い森には、案内なしでは近寄れない。

だから、私が黙っていれば永久に、二人はあのままなんじゃないかしら……って。
彼女なりの優しさなのかもしれませんわね。
さあ、これで私の話を終わりますわ。
次の方、どうぞ。


       (六話目に続く)