晦−つきこもり
>六話目(真田泰明)
>G4

そうか、残念だな。

まあ、その作品なんだけどさ。
ちょっと恐がりの人には、きつい内容だよ。
あまりにも鋭い心理描写や、緻密なシーンの描写は、まるで隙がない。
不自然さがないんだ。
もちろん、読者が、登場する殺人者に共感するとかじゃない。

ただ読んでいくと、読者がいつもの心理状態から違和感なくその殺人者の心理状態に移行していくんだ。
まるで催眠術のようだっていう、もっぱらの評判だった。
まあそんな内容だったから、ドラマ化が決まったはいいけど、その制作方針に関しては、かなり難航したよ。

それで派手な映像で、ごまかすしかない、そんな意見が、大勢を占めた。
まあ俺も同意見だった。
でも、ただ派手な映像を見せることにも限界がある。
彼の文章が人の心に映し出したもの以上に描くのは、不可能に近かった。

しかし制作は、行わなければならない。
俺はできる限りの手配をして、撮影に入ることになった。
小説の舞台は明治時代の洋館だ。
舞台になる洋館は程なく選ばれて、ロケに入ったんだ。
そしてスタッフやキャストは、現地入りした。

作業開始は翌日からだったんで、現地入りした当日は取り敢えずホテルに泊まったんだ。

その夜、何人かのスタッフが俺の部屋に来て飲み会になった。
「泰明さん、飲みませんか」
俺が扉を開けると、そこにはシナリオライターの花田さん、ADの吉川、そして、主演の河口君がいた。
「おう、河口君、入れよ」
俺はそう答えると、彼等を部屋に入れる。

彼等はそれぞれ持って来たウイスキーやつまみをテーブルに置くと、椅子やベッドに座った。
「いよいよ明日からですね」
ADの吉川が俺にいった。
「まあ、明日は準備だけだから、撮影はないけどな」
話好きの彼はさらに話を続けた。

「でも、河口さんも物好きですね。
撮影用にいじられる前にあの洋館を見ておきたいなんて」
吉川が河口君に振る。
「ははっ、俺が怪奇現象とかを好きなのは知っているだろ」
彼は二十代後半で、役者としては中堅どころで安定した地位と人気があり、気さくな人柄からスタッフにも人気がある。

今日もそんなことから、吉川が引っ張って来たんだろう。
「でも、あの洋館で昔、殺人があったって本当なんですか」
吉川は不安そうな顔をしながら、河口君の方を見て聞いた。
「うん、まあ、噂だな」
河口君は曖昧に答える。

「何に脅えてんだよ、吉川。そんなに怖いのか」
俺はびくびくしている吉川をからかった。
「ずるいですよ。泰明さんだって気味悪いっていってたじゃないですか」
吉川は恐がりで、河口君とは対照的だ。

しかし、年が近い事もあり、二人は結構気が合うようだった。
俺達はしばらく、酒を飲みながら、くだらない話を続ける。
そしていつのまにか、あの洋館の話に戻った。
「でも、こんなところにあんな洋館があるなんて、知らなかったよ」
話を戻したのは花田さんだ。

「通りがかりにチラッと見ただけだけど、昼間でも不気味ですよね」
吉川が同調する。
「あの洋館は、明治時代に建てられたもので、ちょっといわくがあるんだ」
河口君が口を開いた。

彼の怪奇現象好きは、あくまでも趣向の範囲内で、役者として問題がある訳ではない。
「実は泰明さんにあの洋館を推薦したのは俺なんだよ。あの洋館には個人ではどうしても入れなくてさ。ははははっ」
河口君は更に続ける。

「そうだ、泰明さん、これからあの洋館に行ってみませんか」
河口君が満面の笑みを浮かべていった。
「おいおい、もう夜だぜ!」
俺は冗談だと思って、適当に応じる。
「やめましょうよ〜」
しかし吉川は、みんなの顔を見回しながら嫌がった。

「臆病だな、泰明さん、吉川なんて置いて行きましょうよ」
河口君は目を輝かせている。
「そういえば、飯山、来ないな。
あいつも洋館の見学に行きたいっていってたんだけどな」
河口君は完全に行く気になっているようだった。
「飯山が来るのか」
俺は河口君に、そう尋ねた。

飯山は特殊メイクのスタッフで、冗談好きの明るい男だ。
「はい、さっき誘ったとき、あとで来るっていってたんですよ」
河口君はそう答えた。
「寝ちゃったんじゃないか」
そう花田さんが口を挟む。

「そうだな、あいつロケバスの中で調子が悪そうだったからな」
俺は飯山がロケバスの中で、青い顔をしていたのを思い出す。
しかし、河口君は飯山のことなんか気にしない感じで、話を戻した。

「行きましょうよ。泰明さん、鍵を持っているでしょ」
河口君は半分腰を浮かし、もう完全に行く気になっていた。
「やめましょうよ、河口さん。明日、朝早いし」
吉川は相変わらず嫌がっている。

「俺は別に朝早くないからなっ」
これから、二、三日は撮影準備なので、役者の河口君は、これといってやることがなかった。
彼等の掛け合いは更に続く。
「それに、懐中電灯とかないじゃないですか」
吉川が反論した。

「ロケバスに幾つかありましたよ」
河口君はもう行くつもりで、下調べは終わっているような口振りだった。
そして俺は河口君の押しに負ける。
「じゃ、行くか」
俺はしょうがないという気持ちで、そういい放った。

「やった!」
河口君にはめずらしく、子供のようにはしゃいでいる。
そして俺達は立ち上がると、部屋を出た。
「飯山の部屋によって行きます。
ロビーで待っていてください」
河口君はそういうと、飯山の部屋に向かった。

そして残された俺達は、ロビーに向かう。
俺はロビーに降りるとソファーに座り、ぼんやり河口君が来るのを待った。
横では花田さんも、ぼんやりしている。
そして俺は吉川を見た。
彼はロビーの柱のところで不安そうにたたずんでいる。

そして、少しイライラし出したとき、河口君が戻って来た。
「部屋の外で呼んだんですが、出てきませんでした。やっぱり、寝ているのかもしれません」
河口君はソファーのところに来ると、そういった。
「じゃ、俺達だけで行くか」
俺がそういうと、各々うなずいて玄関を出た。

「歩いて行くのか」
花田さんが、俺にそう尋ねる。
「ええ、歩いても十五分ぐらいなんですよ」
彼の方を向いて、俺はそう答えた。

「じゃ、懐中電灯を持ってきます」
河口君は吉川を連れ、ロケバスに行くと人数分の懐中電灯を持って来た。
彼等はみんなに懐中電灯を配る。
しかし、洋館まで行く道は月明かりが道を照らし、懐中電灯をつけるほどではなかった。

その夜は満月で、空には雲一つなかったんだ。
「河口君、洋館についてもう少し教えてくれよ」
俺は河口君に語りかけた。

「あっ、いいですよ。でもあまり詳しく知っているわけじゃないですよ。まあ、知っている範囲なんですけど、明治時代に元大名家の華族が住んでいたという話なんです。何か事件が起きて以来、使われなくなったという話なんですよ」
彼は空を見上げるようにして、そういったんだ。

道は急な登り坂に入った。
この坂の上に洋館がある。

俺達の雑談は続く。
そして坂が終わりに近づいてきた。

坂の上の洋館が見えてきた。
「あ、あれか………」
花田さんはそう呟く。
洋館は翼を広げた巨大なコウモリのようにたたずんでいた。
そして闇の主のようにどっしり構え、月を背後に従わせていたんだ。

俺は鍵をあけ、門をひらいた。
そして俺達は中に入る。
先頭には俺と河口君、その後ろに吉川、そして最後に花田さんという順番だ。
門のところから玄関まで百メートル程ある。
俺達は各々、懐中電灯のスイッチを入れた。

みんなの懐中電灯が洋館の外観を照らす。
外壁はツタに覆われ、窓もツタの中に埋まっていた。
俺達は玄関の扉の前に来る。
中は真っ暗で、窓からはツタの隙間から、僅かに月明かりが入っていた。

各々の懐中電灯は家の中を照らしている。
玄関に入って、すぐのところには、ホールのようなものがあった。
そのホールには左に廊下があり、前と右には扉、そして階段があった。
(さて、俺達の探検の始まりだ)

(→探索1回目)