晦−つきこもり
>六話目(藤村正美)
>A4

そうですわよね。
本当に嫌な感じの人。
だから、ちょっとイタズラ心を起こしたんですわね。
佐原さんは、緒田さんを脅かしてやろうとしたのです。
普通だったら、彼女もそんなことを考えたりはしなかった、と思いますわ。

看護婦って、第一に患者さんのことを考えているんですもの。
ああ、もしかしたら、緒田さんが寂しくないように、ジョークのつもりだったのかもしれませんわね。
消灯後に、彼女は例の病室を訪れたのです。
緒田さんは、まだ起きていましたわ。

「んだよ、眠いっていってんのが、わっかんないのお。あんた、馬鹿ぁ?」
ふてぶてしい態度の緒田さんに、佐原さんはそっと近づきました。

「あなたを心配したのよ。だって……この部屋には出るんですもの」
ピクッと、緒田さんの眉が上がりました。
「ウソ、マジ?」
「もちろん。どんな霊だか、聞きたい?」
佐原さんは含み笑いをしました。

うまい具合に、乗ってくれたんですものね。
「正体は誰も知らないの。ただ、この部屋に一人で泊まった人間は、朝を迎える前に死んでしまうのよ。ベッドが怪しいという人もいるわ……」
緒田さんは、あわてて寝転がっていたベッドから、飛び降りました。

「ふふふ……怖い? でも、それだけじゃないのよ。死んでしまった人たちは、まだ成仏できていないという噂なの。
夜な夜な、自分が死んだベッドの周りで、恨めしげに立っているとか……。あなた、見えないの?」
緒田さんは、うつむいたまま首をブンブンと振りました。
だいぶ脅えているようです。

ここでダメ押しをしてやろうと、佐原さんはほくそ笑みました。
そして、窓の外を指差したのです。
「私には見えるわ。ほら、
そこに!!」
「キャーーッ!」
緒田さんは、佐原さんにしがみつきました。

ふてくされた態度をとっていても、やっぱり高校生ですわね。
佐原さんは、笑い出してしまいました。
「アハハ、怖かったかしら。ごめんなさいね、何もいやしないわよ」
うつむいたままの緒田さんが、低い声でつぶやきました。

「そうね、あんたとこにはね」
「えっ?」
聞き返そうとした瞬間、佐原さんの首筋に、鋭い牙が突き刺さりました。
緒田さんが、肉食獣のような歯でかみついたのです。

「な……」
叫ぼうとした声の代わりに、どす黒い血が、ゴポッと口から溢れ出ました。
それっきり、佐原さんは息絶えてしまったのです。
思う存分、彼女の血を飲むと、緒田さんは顔を上げました。

「うっかり事故なんかに巻き込まれて、アンラッキーだと思ったけど、これでプラマイゼロかな」
手を離すと、佐原さんの体は、ズルズルと崩れ落ちます。

「フン、何がベッドが怪しい、よ。
こんなの、単なる地縛霊の一種でしょ」
緒田さんは、ベッドに指を突き立てました。
その爪の先から、ぱちっと青白い火花が散ったのですわ。

「馬鹿みたい、こんなんで消えちゃうザコを怖がるなんて」
吐き捨てるようにいうと、緒田さんは窓を開けました。
そして、夜の闇の中へ、出ていってしまったのですわ。
佐原さんの死体が発見されたとき、体内には一滴の血も、残っていなかったそうです。

緒田さんは、行方不明のままでした。
佐原さんの死も、緒田さんの行方不明も、『死を招くベッド』のせいだということになりました。
だから今でも、そのベッドは使用禁止のままなんですの。
せっかく、緒田さんが使えるようにしてくれたのにね……。

うふふ。
おばさんは口を隠して、おかしそうに笑った。
なんだか変だわ。
おばさんの目は、こんなにギラギラしていたかしら。
私は、正美おばさんの顔を、じっと見つめていたらしい。

「私の顔に、何かついていて?」
おばさんが、にっこり笑った。
その口元から鋭い牙がのぞく。
「おばさん……ほ、本当に正美おばさんなの?」
声が震えた。
おばさんは、のどの奥で低く笑ったようだった。

「変なことをいいますわね、葉子ちゃん?」
言葉とともに、おばさんの何かが変わっていく。
うまくいえないけど、皮膚の下で『悪意』そのものが、うごめいてるような……。
そのとき、表の方から、大きな羽ばたきの音が聞こえてきた。
一つや二つじゃない。

もしかしたら、何十羽もの巨大な鳥が、庭に降り立っているのかも。
……でも、そんなことあり得ないのは、わかっていた。
真夜中に飛び回る、巨大な鳥なんて、日本にいるわけないもの。
だけど……。
だけど、どうして私たちなの?

背骨に氷の棒を突っ込まれたように、体が凍りついていた。
「やっと来たようですわ……それでは、始めましょうか。晩餐よ」
正美おばさんが、美しく微笑んだ。


すべては闇の中に…
              終