晦−つきこもり
>六話目(藤村正美)
>C5

まあ、今さらそんなことをいっても、遅いですわよ。
自分で、他人のことなんて関係ないと、いったばかりじゃありませんの。
緒田さんは、だからもちろん、こういったのですわ。

「うっさいねえ! アタシ眠いんだから、放っといてよっ!」
ザワリと、空気がゆらめきました。
とても危険な、張りつめた雰囲気が、彼女を包んだのですわ。
服から出ている素肌の部分が、ピリピリとしびれる感じ。

「なに、これっ!?」
緒田さんは驚いて、飛び起きました。
明かりの消えた、暗い部屋の中に浮かび上がる、白い人影。
その、ちょうど顔のあたりに浮かんだ、二つの眼球が、彼女を見つめていたのです。
悲鳴がもれかけた、そのときでしたわ。

風船をふくらませたように、ぶうっと眼球が大きくなりました。
そして、弾けてしまったのです。
パアン!
乾いた音が響き渡り、白く濁った眼球のかけらが、緒田さんに降り注ぎました。

「イヤーーーーーーッ!!」
緒田さんは悲鳴をあげ、倒れてしまったのですわ。
……次の日、佐原さんは病室を訪れて、緒田さんの無事を確かめました。
『死を招くベッド』に寝かせたことを、あとから後悔したのでしょうね。

不思議なことに、緒田さんは夜起きたことを、何も覚えていなかったのですわ。
昨夜と変わりない姿で、退院していく彼女を見て、佐原さんはホッとしたでしょうねえ。
それとも、ガッカリしたのかしら。

だって、『死を招くベッド』のジンクスが、破れてしまったのですものね。
さて、緒田さんは家路を急ぎました。
夜遊びを放任する親でも、さすがに朝帰りなんて、許してくれないでしょうし。

小走りで交差点にさしかかったとき、不意にめまいがしたのですわ。
一瞬目の前が赤く染まったかと思うと、赤信号を突っ込んできたトラックが、急ハンドルを切ってひっくり返ったのです。
そのフロントに、べっとりとついた血潮……。

ものすごい音と悲鳴に、彼女は思わず、うずくまりました。
「きゃあっ!」
ところが、その肩を叩く人がいるのです。
「どうかしました? 大丈夫ですか」

「なっ……」
何をいっているの、と怒鳴りつけようとした彼女は、交差点を見てあぜんとしました。
突っ込んできたはずのトラックが、影も形もなくなっているのです。

「なに……今の、マボロシ……?」
呆然として、彼女は立ち尽くしました。
見渡してみても、いつもと変わりない、平和な風景が広がっているばかりです。
なぜ、あんな幻覚を見たのだろう……?

そう思いながら、歩き出そうとしたときでしたわ。
パパーッ! と耳をつんざくようなクラクションに、彼女は振り向きました。
赤信号を無視して、トラックが交差点に突っ込んでいきます。
気づかずに直進してきたオートバイが、避けようとして転倒し……。

ものすごい音と悲鳴。
ほんの数秒前に、『見た』とおりの光景が、今、目の前に広がったのです。
まるで緒田さんが、これから起こることを予知したかのように。

「予知……そうか、予知だわ!」
彼女は、思い当たって両手を叩きました。
事故のショックで、予知能力が目覚めたに違いないと思ったのです。
もともと、そんなことに、興味のある年頃ですものね。

緒田さんは、喜び勇みましたわ。
これから、超能力者としての人生が始まる。
お金も儲かるだろうし、有名にもなれると思ったのでしょう。
ウキウキしながら、家の近くまで帰ってきたのですわ。
そして、交差点を渡ろうとしたとき。

キキキーッと、けたたましいブレーキの音が響いたのです。
ハッと振り向いた彼女の視野に、直前まで迫ったトラックのフロント部分が飛び込んできました。
「キャアアーーーーッ!!」
悲鳴が消えるより早く、巨大な凶器となったトラックが、緒田さんを引きつぶしたのです。

即死だったそうですわ。
横倒しになったトラックに、べっとりとついていた赤い血は、緒田さんの見た幻覚と、そっくり同じだったそうです。
それから、その晩のことなんですけれどね。
緒田さんの遺体は回収されて、遺体安置所に運ばれていたのですわ。

真夜中過ぎになって、遺体がポウッと淡く光りだしたんですの。
そして、緒田さんのまぶたが、ゆっくりと開いたかと思うと、眼球が空中に浮かび上がりました。
二つの眼球は、フワフワと高く上昇します。

まといつくように集まった白いもやが、だんだんと人型になっていきます。
前夜、例の病室に現れた白い人影が、そこにいたのです。
人影は、緒田さんの体を見つめていました。
そして、そのまま消えてしまったのです。

あの眼球と人影の正体は、私にはわかりません。
『死を招くベッド』と何か関係があるのか、それとも全くの別物なのかも。
ただ、緒田さんにわざわざ、自分が死ぬ前の光景を見せるなんて……。
何者だとしても、悪趣味なことは確かですわよね。

おばさんは、そういって話を締めくくった。
「でもさあ、なんでそんなこと知ってんの?」
良夫が口を出した。
馬鹿だと思ってたら、たまにはいいこというじゃない。
正美おばさんは、キョトンとしている。

「そんなこと……って?」
「だから、今話したみたいなことだよ。二つの目玉とかあ……」
「目玉?」
なんだか、ちっとも話がかみ合わない。
おばさんは、私たちを不思議そうに見回している。

「どういうことですの? これから、看護婦の友人から聞いた、とっておきの怖い話をしようと思っていますのに」
「これからって、正美ちゃんは、もう話したじゃないか」
泰明さんが、心配そうに眉をひそめる。
こんなときまで、かっこいい人だわ。

でも、おばさんは首を横に振った。
「何のことだか、わかりませんわ。
それじゃあ、まるで私が……」
しゃべるおばさんの肩で、何かが動いた。
白くて丸い、あれは……眼球?
見ていると、風船のように、眼球がふくらんで弾けた。

パアン!
私は、眼球のかけらをまともに浴びてしまった。
同時に、目の前が真っ暗になる。
何なの、これは!?
おばさんの話では、真っ赤な光景が見えるはずなのに……。
なんだか息苦しい。

空気を吸おうとしても、吸い込めない。
肺が、酸素を求めているのがわかる。
それなのに、闇が固形になったように私を押さえつけ、胸一杯呼吸することも邪魔する。
どうして……どうしてなの!?

意識が暗黒に飲み込まれる瞬間、この暗闇こそが、私の死ぬ前の光景だということに気づいた……。


すべては闇の中に…
              終