晦−つきこもり
>六話目(藤村正美)
>J6

そうですの。
石井さんの想いは、普通よりも少し、深いところに根ざしているようでしたけれど。
何というか、ノコちゃんには不思議な力があったのですわ。
好きにならせるというか、『守りたい』『側に置きたい』と思わせるような何かが。

一種のフェロモンかもしれませんわね。
ほら、動物の雌が、雄を引き寄せるためのにおい。
人間にもあると聞いたことがありますわ。
ノコちゃんは、見るからに無力で幼い女の子ですもの。

そうやって、守ってもらうことが、生きていくために必要なことだったのでしょう。
石井さんも幸せだし、ノコちゃんも安全だし、いいこと尽くめですわよね。
「でも、おばさん。それから、その二人はどうしたの?」
私は、思わず口を挟んでしまった。

正美おばさんは、私を見て笑った。
「どうもしませんわ。おそらく、今でも仲良く暮らしているのでしょう」
「ええっ?」
私が目を見張ったとき。
廊下を歩く足音が、まっすぐに近づいてきた。

「いやあ、悪い悪い。すっかり遅くなっちまったな」
ふすまを開けたのは、和弘おじさんだった。
家の中だというのに、ロングコートを着たまま。
外は、よっぽど冷え込んでいるのかしら。

「遅かったじゃないか、和弘。立ってないで入れよ」
「そうよお。三時には来るっていってたくせに、こんなに遅れるんだもの。心配しちゃったじゃないの」
みんな、口々に声をかける。
でも、和弘おじさんはモジモジしているだけ。

「ああ、実は……もう一人いるんだけど、いいかな」
おじさんのコートが、もこっと動いた。
すそから、可愛い女の子が顔を出す。

「どうしたの、その子供!?」
「ああ、うん……ちょっと預かってさあ」
おじさんの言葉の間にも、女の子はチョコチョコと入ってきて、私たちを見回している。
なんて可愛いのかしら。
まつげが長くて、ぱっちりした目。

少しウエーブのかかった髪は、明かりに照らされて栗色に光っている。
「まあまあ、可愛いじゃないの。
お名前は?」
和子おばさんの声に、女の子は嬉しそうに笑った。
「ノコちゃん」
………………私は、耳を疑った。

偶然にしては、できすぎだわ。
でも、そんなに珍しい名前でもないし……。
「和弘!? これ、なんだよ!?」
泰明さんの大声に、みんなビクッとそちらを振り向いた。
泰明さんは、和弘おじさんのコートのすそをめくっている。
下に見えるシャツを、重たく濡らしているのは……血?

そして、畳の上に落ちている、赤く汚れた包丁…………。
「しょうがないじゃないか! 俺、この子を連れて来たかったんだ。
それなのに、石井のヤツが嫌がるから、つい……!」
石井って、正美おばさんの話に出てきた人?

それじゃあ、このノコちゃんは本物で……和弘おじさんは、ノコちゃんを奪うために、石井さんを!?
何だかクラクラする。
「泰明さん、わかってくれるだろ?
殺す気はなかったんだ。あいつの方から……!!」

「ああ、わかるよ」
泰明さんは低い声で答え、素早く包丁を拾い上げた。
そのまま、無防備な和弘おじさんのお腹に突き刺す。

「正美ちゃんのいうとおり、この子には不思議な力があるみたいだ。和弘なんかに独占させとくのは、もったいない」
瞳をギラつかせた、見たこともない泰明さんが、そこにいた。
血を吹き出しながら倒れる和弘おじさんを、冷たい目で見下ろす。

「安心しろ。この子は、俺が守ってやるよ」
「そうはさせないよ!」
鋭い由香里姉さんの声。
床の間の花瓶から、剣山を取り出して構えている。
目や、体の柔らかい部分を狙えば、あれだって充分な武器になるわ。

気がつくと、哲夫おじさんも、いつの間にかサバイバルナイフをかざしている。
いいえ、和子おばさんも、正美おばさんも、良夫までもが目の色を変えていた。
……だけど、その気持ちもわかるわ。

キョトンと私たちを見ているノコちゃんは、本当に可愛らしいもの。
特に、瞳の深い色。
何だか、引き込まれそうなくらいきれい。
きれいで、可愛くて…………独り占めしたくなる。
私は、ふらりと立ち上がった。

ノコちゃんを私のものにしなくちゃ。
邪魔するヤツは殺してやる…………たとえ、それが泰明さんでも。
体の奥から、ふつふつと熱いものが、みなぎってくるような気がした。
さあ……戦闘開始だわ。


すべては闇の中に…
              終