晦−つきこもり
>六話目(藤村正美)
>K6

そうですか……まあ、いいですわ。
そんな二人の生活が壊れたのは、それからすぐのことでした。
石井さんは、生活費のためにアルバイトをしていたのですわ。
ある日、そこで腕を骨折してしまったんですの。
ところが彼は、治療も入院も拒むのです。

なぜかは、おわかりでしょう?
ノコちゃんのためですわ。
彼女を一人にするなんて、とても我慢ならなかったのです。
最後は逃げるように、石井さんは家路を急ぎました。
それでも、家についたのは、いつもよりだいぶ遅い時間でしたわ。

鍵を開けて入ると、ノコちゃんがふくれて立っていました。
「お兄ちゃん、遅い! だっこして!」
「ごめんね、ノコちゃん。お兄ちゃんケガしちゃって、だっこできないんだ」
「やだやだ! だっこ!」
ノコちゃんは、三つ編みの頭を振って、いやいやをしました。

石井さんは、できることなら、だっこしてあげたかったでしょう。
でも、昼間折ったばかりの腕で、子供とはいえ、抱き上げるなんて無理ですわ。
それを聞いて、ノコちゃんの顔がスウッと変わりました。

今までの、可愛らしい表情が消えて、氷のような目をした魔物じみた表情になったのです。
「だっこしてくれないお手々なんか…………いらない」
冷たい口調とともに、バッと血しぶきが上がりました。

石井さんの腕が無数に裂け、傷口から血がほとばしったのです。
折れた方の腕も、ギプスのすき間からあふれるように、血が流れています。
「わああああっ!?」
痛みとショックで、石井さんは転げまわりました。

動きにつれて、真っ赤な血が部屋中を染め上げていきます。
「足もいらない」
ノコちゃんの言葉が終わるか終わらないかのうちに、今度は石井さんの両足から、血が吹き出しました。

「ノコちゃんと遊ばないなら、お顔もいらない」
その瞬間、石井さんの顔が裂けたのです。
まるで、細身のナイフで、細かく丁寧に切れ目を入れたように、ズタズタに。
「うお……う……うう……」
もう、くぐもったうなり声しか聞こえません。

大量の出血で、ほとんど意識さえなくなっているはずです。
ぐったりと倒れている彼の横に立って、ノコちゃんは、小さな頭をちょこんと下げました。
「さよーなら」
そして赤いスカートを揺らしながら、ドアを開けて出て行ったのですわ。

数日後、石井さんの変死が新聞の片隅に、小さく載りました。
目敏く見つけた佐原さんが、やっぱりベッドの呪いだと思ったかどうか……。
それは、私にはわかりませんけれどね。
でも、ノコちゃんはどこへ行ったのでしょう?

呪いのベッドから離れたノコちゃんが、わざわざ病院に戻ってきたりするでしょうか。
それだけは、気になるのですわ……。
正美おばさんの話が終わった。
「あらやだ、こんな時間じゃないの」
和子おばさんが、大きな声をあげた。

時計を見ると、もう夜明け前。
結構盛り上がったから、時間が経つのがわからなかったのね。
「さあさあ、みんな寝なきゃ駄目よ」
「何だよ、まだ葉子ネエが
話してないじゃんよー!」
良夫が抗議したけど、まったく相手にしてもらえない。

和子おばさんって、やっぱり強い。
でも、助かっちゃったな。
みんなの話を聞いた後じゃ、どんな話していいか、わかんないもの。
みんな、よくあんな怖い話を知ってるものだわ。

和子おばさんに追い払われた私たちは、自分の部屋に戻って寝ることにした。
泰明さんが、手を振ってくれた。
「お休み、葉子ちゃん。いい夢をね」
本当ね。
できれば、泰明さんの夢が見られますように。

長い廊下を歩いて、部屋の障子を開けた瞬間。
目の覚めるような、あざやかな赤色が視界に飛び込んできた。
私の顔を見上げている、小さな女の子。
「お姉ちゃん、だっこして」
可愛らしい笑顔の両脇で、揺れている三つ編み。
足元が揺れ始める。

倒れないように障子につかまって、私は女の子に聞いてみた。
「あなた……だあれ?」
震えるか細い声に、女の子は得意げに胸を張った。
赤い、小さなくちびるが、信じられない単語をかたちづくる…………。
「あたし、ノコちゃん」


すべては闇の中に…
              終