晦−つきこもり
>六話目(藤村正美)
>T6

「もう、いい加減にして! 誰だかわからないけど、絶対に許さないわっ!!」
その瞬間、部屋中を埋め尽くしていた蛇の姿が、消えました。
そしてまた、あの声が……。

「まだ、思い出さないの?」
「え……っ」
姫川さんの記憶の中に、その声が引っかかりました。
そういえば、どことなく覚えがあるような気もします。
けれど、彼女は首を横に振りました。

「こんな仕打ちをされる覚えなんて、絶対にないわ!」
その途端、部屋の中に、どす黒い気配が渦巻きました。
今までも危険な感じはしていましたが、これほどせっぱ詰まった感じではありませんでしたの。
さすがの姫川さんも、たじろぎました。

「それなら死ね!」
切りつけるような、鋭い声でしたわ。

その声を聞いた瞬間に、彼女の体は動かなくなってしまったのです。
手足だけではありませんでした。
肺やその周りの筋肉も、彼女の呼吸を拒むように、動かないのですわ。

「…………っ!!」
こわばったのどからは、もう声も出ません。
恐怖で口の中が干上がります。
思考は正常なのに、どこをどうすれば、望みの筋肉が動かせるのか、まったくわからないのです。

鳩尾のあたりの重いしこりが、ゆっくりと全身に広がるようです。
体の奥底が、どくどくと脈打ちます。
新鮮な酸素を求めて、血液が駆けめぐっているのでしょう。
自分の意志とは無関係に、体がケイレンを始めました。

そのとき、ボウッと病室の暗闇に、人影が浮かび上がったのです。
「そうやって、苦しんで死ぬがいい。おまえは、私を殺したんだから……」
憎々しげに姫川さんを見つめる女性は、頭からかぶるような、ゆったりした布をまとっていました。

どう見ても日本人には見えないのに、いっていることは理解できるのですわ。
そして、彼女を見た途端に、姫川さんの記憶が戻ったのです。
いいえ、正確には『姫川さんの記憶』ではありませんわね。
姫川さんの、前世での記憶だったのです。

彼女の前世は、強大な権力者でした。
絶対的な権力を誇り、逆らう者は徹底的に叩きつぶすという、恐怖政治をおこなっていたのですわ。
そして今、目の前に浮かぶ女性は、その権力者に殺された犠牲者だったのです。

姫川さんの目から、涙があふれました。
記憶が戻っても、現在の自分には責任のないことだと、いいたかったのでしょう。
けれど、女性は冷たい目で見下ろしていました。
「思い出したようね。お礼に、その心臓を止めてあげるわ」
やめて!!

……姫川さんの叫びは、声にはなりませんでしたわ。
次の瞬間、彼女の心臓は永久に、その動きを止めました。
朝になって、姫川さんの遺体が発見されましたの。
佐原さんたちは、『死を招くベッド』の、新しい犠牲者だと噂しましたわ。

でも……私、それは当たらずとも遠からずではないかと、思いますの。
あのベッドは、どこか別の次元と繋がっているのではないでしょうか。
そこに寝た人間の前世をよみがえらせるような、つながりがある方を呼び寄せるような……。

それまでに亡くなった方も、姫川さんと同じようなことが、あったのじゃないかと思うんですのよ。
……………………………………… ………。
……………………………………… ………。
……………………………………… ………。

……………………………………… ………。
……ところで葉子ちゃん。
私がなぜ、こんな話をしたか、わかりますかしら?
私にも、前世の記憶があるからなんですの。
もっとも、昔からあったわけではありませんわ。

つい最近、思い出したんですの。
葉子ちゃんには、前世の記憶はないのかしら。
正美おばさんは私を見ていた。
顔は笑っているけれど、目は冷たく尖っている。
何だか、嫌な予感がするわ。

「葉子ちゃん、答えてくださいな」
おばさんが、いいつのる。
「そんなの……別にないわ……」
声がうわずる。
この不安は何なの?
おばさんの目が、ギラッと光った。

「そう……そうなの。では、私と前世で姉妹だったことも、覚えていないんですわね。私の恋人と組んで、私を裏切り、殺したことも……」
おばさんの右手には、銀色に光る刃物が握られている。
あれは、メス?

ゆらりと立ち上がるその姿は、生きている人間には見えなかった。
まるで……いつか本で見た、幽鬼のようだった。
「あのときの恨み……晴らしてやるわ!」
低くつぶやく声も、ドスが利いてて正美おばさんじゃないみたい。

でも、そんな馬鹿なことって。
前世の記憶なんて、全然覚えのないことで殺されるなんて、信じられないわ。
逃げなきゃ!
私は立ち上がろうとした。
けれど、それより一瞬早く、鬼女の顔をしたおばさんが、メスを振り上げて襲いかかってきた……。


すべては闇の中に…
              終