晦−つきこもり
>六話目(藤村正美)
>U4

まあ、意外に攻撃的な人だったんですのね。
実は姫川さんも、そういうタイプだったんですわ。
「ふざけないでちょうだい! あたくしを、誰だかわかってるのっ!?」
ヒステリックに叫ぶ彼女の背後で、ささやくような声が聞こえました。

「……じゃあ、あんたにはわかってるの?」
「えっ?」
見回した病室の中には、誰もいません。
それどころか、流れ込んでいた水流が止まり、部屋の中は静寂に満ちています。

「誰? 誰かいるなら、出てきなさい!」
彼女の声に答えるように、ボッと小さな音がしました。
ベッドの上に、赤い炎が灯ったのです。
炎はうねるように踊りながら、瞬く間にカーテンに燃え移り、部屋中を不吉な紅色に染めました。

火の海というのが、まさにピッタリの形容でしたわ。
消火しようとしても、あれほどあったはずの水が、いつの間にか一滴もなくなっています。
「ど、どういうことなの?」
呆然とする彼女の頬を、熱気が灼きます。

ヒリヒリとちぢみあがるような皮膚の感覚は、これが幻覚ではないと証明しているようです。
「と、とにかく逃げなきゃ!」
ドアノブに触れた瞬間、指先がジュッと灼けました。
「ぎゃあっ!」
金属部分が、炎にあぶられていたんですわ。

苦痛によろめいた、彼女のスカートの先に、火が燃え移りました。
火はまるで生き物のように、一瞬にして彼女を包み込んだのです。
「ぎゃああーーーーっ!!」
彼女の髪が、顔や手足が、燃え上がります。

あっという間に、皮膚が乾いてひび割れ、むき出しの肉が焼けていくのが、わかります。
嫌なにおいが、あたりに立ちこめました。
食いしばった歯の間から、舌やのどを狙うように、炎が入り込んできます。
口だけではありません。

鼻や、耳や、目……それに全身の毛穴から、炎が潜り込んでこようとするのです。
まるで、身体の内部からも、焼き尽くそうとしているかのように。

そう思ったとき、目の前に見慣れない女性が立っていました。
「私にした仕打ち、思い出したかい……?」
憎々しげに姫川さんを見つめる女性は、頭からかぶるような、ゆったりした布をまとっていました。

どう見ても日本人には見えないのに、いっていることは理解できるのですわ。
そして、彼女を見た途端に、姫川さんの記憶が戻ったのです。
いいえ、正確には『姫川さんの記憶』ではありませんわね。
姫川さんの、前世での記憶だったのです。

彼女の前世は、強大な権力者でした。
絶対的な権力を誇り、逆らう者は徹底的に叩きつぶすという、恐怖政治をおこなっていたのですわ。
そして今、目の前に浮かぶ女性は、その権力者に殺された犠牲者だったのです。

しかも、生きたまま、煮えたぎる油を満たした鉄の鍋に、放り込んで死なせていたのですわ。
「これで、私の苦しみがわかるだろう……」
女性は肩を揺らし、陰気に笑いました。
姫川さんの目から涙があふれました。

その涙も、熱気ですぐに乾いてしまいます。
記憶が戻っても、現在の自分には責任のないことだと、いいたかったのでしょう。
けれど、女性は冷たい目で見下ろしていました。
「さようなら。もう、焼け死ぬしかないのよ」
やめて!!

……姫川さんの叫びは、声にはなりませんでしたわ。
朝になって、姫川さんの遺体が発見されましたの。
真っ黒に炭化して、縮んでしまっていました。
佐原さんたちは、『死を招くベッド』の、新しい犠牲者だと噂しましたわ。

でも……私、それは当たらずとも遠からずではないかと、思いますの。
あのベッドは、どこか別の次元と繋がっているのではないでしょうか。
そこに寝た人間の前世をよみがえらせるような、つながりがある方を呼び寄せるような……。

それまでに亡くなった方も、姫川さんと同じようなことが、あったのじゃないかと思うんですのよ。
……………………………………… ………。
……………………………………… ………。
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……………………………………… ………。
……ところで葉子ちゃん。
私がなぜ、こんな話をしたか、わかりますかしら?
私にも、前世の記憶があるからなんですの。
もっとも、昔からあったわけではありませんわ。

つい最近、思い出したんですの。
葉子ちゃんには、前世の記憶はないのかしら。
正美おばさんは私を見ていた。
顔は笑っているけれど、目は冷たく尖っている。
何だか、嫌な予感がするわ。

「葉子ちゃん、答えてくださいな」
おばさんが、いいつのる。
「そんなの……別にないわ……」
声がうわずる。
この不安は何なの?
おばさんの目が、ギラッと光った。

「そう……そうなの。では、私と前世で姉妹だったことも、覚えていないんですわね。私の恋人と組んで、私を裏切り、殺したことも……」
おばさんの右手には、銀色に光る刃物が握られている。
あれは、メス?

ゆらりと立ち上がるその姿は、生きている人間には見えなかった。
まるで……いつか本で見た、幽鬼のようだった。
「あのときの恨み……晴らしてやるわ!」
低くつぶやく声も、ドスが利いてて正美おばさんじゃないみたい。

でも、そんな馬鹿なことって。
前世の記憶なんて、全然覚えのないことで殺されるなんて、信じられないわ。
逃げなきゃ!
私は立ち上がろうとした。
けれど、それより一瞬早く、鬼女の顔をしたおばさんが、メスを振り上げて襲いかかってきた……。


すべては闇の中に…
              終