晦−つきこもり
>七話目(前田和子)
>E23

「ちょっと待ってください」
私は、下に落ちたお札を拾おうとした。
「何するつもりだ!?」
和弘さんがすごむ。
「懐中電灯で、お札を確かめようと思ったんです」
「動くな! ……俺がやる」
和弘さんは、懐中電灯と、お札を拾った。

お札が照らされる。
子供が書いた、たどたどしい字。
もう一枚のお札には、こんなことが書かれていた。
『わたしのこどもは しあわせにしてほしい』
これは……。
そうか、わかったわ。

赤い靴の女の子が『おかあさんをかえして』と書いた時、私のおばあちゃんがどうしたか。
自分のお札には、何も書かなかったんだ。
というより、赤い靴の女の子にあげたんだわ……。
その後で書いたお札が、きっとこれなのね。

「ばあさん……」
和弘さんは、床にひざをついた。
その肩は、小刻みに震えている。
「ばあさんは、つくづく駄目な女だ。こんなことまで、神頼みにするなんて……」
お札を見つめながら、ぼそりと呟く。

「でも、本当に、こんなふうに思ってくれていたのか……?」
和弘さんは、しばらく考え込んだ。
「本当は……わかっていたんだ。
ばあさんが、何でも人のせいにしたり、神頼みにしていたこと。

それじゃ駄目だって、わかっていたんだ。
でも、ばあさんがそんな性格になったのは、やっぱり誰かが悪いからだって……そう考えずにはいられなかった。

俺も、弱いんだ。辛くなると、不幸を誰かのせいにしていないと、気がすまなかったんだ……」
和弘さんは、意を決したように立ち上がった。

「ごめん、葉子ちゃん。俺……行くから」
「えっ、どこに?」
「旧家に戻るよ。これ、正美達にも見せてやらなきゃ。
ばあさんって、こんなこと面と向かっていうような人じゃなかったから……」
和弘さんは、私に背を向けた。
闇に、姿が隠れていく……。

今、何時なんだろう。
空はまだ暗い。
……つきこもり……。
人の心も、こんなものかもしれない。
心の底でいろんなことを考えていても、それが全部表面に出るわけじゃない。
時には、全く相手に伝わらないこともある。

正美おばさん達は、これからどうするんだろう。
泰明さん、良夫、和子おばさん……。
本当に死んでしまったのかしら。
とてもじゃないけど、現実感がわかない。
さっきまで命を狙われていたのも、嘘のよう……。

明日目覚めたら、すべてが夢になっていたらいいのに。
私は膝を落とし、床に手をついた。
手が震える。
……懐中電灯に、左手が照らされた。
あ、これは良夫の落書き……。

(すねてないよ。何だよ、葉子ネエは。泰明おじさんにばっか、にこにこしちゃってさ)
良夫……!
ただの、いたずらだと思ってたのに……。

(知ってる? お宮参りって、もともとは忌みあけのお参りだったんだって)
和子おばさんのいった言葉が、ふいに浮かんできた。
忌み……。

(簡単にいえば、触れてはいけないこと。立ち入るとよくないことがふりかかるって感じかしら。昔はね、出産が忌みとされていたの。
どうしてかしらね。おめでたいことじゃない。子供が生まれるのって)

私は懐中電灯を持って、石段を下りることにした。
旧家に戻ろう。
きっと、もう大丈夫。
和弘さんが、正美おばさん達をなだめている頃だわ。

石段の下には、お参りの人形が転がっていた。
(本当に子供って、すぐに大きくなるのよね。不思議な感じよ。
自分が産んだ子供なのに、自分とは違う心を持って成長していくんだから)

石段を、ゆっくりと後にする。
闇の中には、私の足音だけが響いていた……。


      (ノーマルエンド)