晦−つきこもり
>七話目(鈴木由香里)
>A1

ミシッ……、ミシッ……。
廊下の軋む音が、だんだん近付いて来るわ。
「誰だろうな……?」
哲夫おじさんが呟いた。
「きっと和弘さんよ」

「今頃来るなんて、大遅刻じゃんね」
正美おばさんと由香里姉さんは、すっかり和弘おじさんだと思ってるみたい。
……でも。
本当に、和弘おじさんなのかしら?
ミシッ……。

足音は、この部屋の前でピタリと止まったわ。
「ほら、やっぱり和弘さんよ」
……本当に?
本当に和弘おじさんなの……!?
さっきから、私、妙な寒気がするの。
この襖の向こうに誰かがいる……。

そう思うと、怖くてたまらないの。
「どうしたんだい、葉子ちゃん?
そんなに震えて……」
「……私、なんだか怖い……」
襖を開けちゃいけない……!
そんな気がするの。
よくわからないけど、この襖が開くと恐ろしいことが起こりそうな……。

「葉子ちゃんたら、まるで襖の向こうに、お化けでも立ってるような脅えかたね」
「お化けか! そんなもの、この哲夫おじさんがやっつけてやるから、安心してていいぞ。がっはっはっはっは!」
違う……!
そうじゃないの、お化けなんかじゃなくて……。

「そうよ。哲ニイがいるんだもん、強盗だってへっちゃらよ」
……強盗……!?
由香里姉さんの口から、その言葉が出た瞬間!
みんなの動きがピタッと止まったの。

良夫も、和子おばさんも、さっきまで豪快に笑い飛ばしてた哲夫おじさんまでもが、顔面蒼白になってガタガタと震えてる。
みんなも、やっとわかったんだわ。
襖の向こうにいるのは、和弘おじさんじゃなくて、恐ろしい強盗だってことに……。
カタン…………。

かすかに襖が音を立てたわ。
「駄目よ……! 襖を開けては駄目!!」
叫んでるのは、正美おばさん!?
でも、そんなこといっても襖に鍵はかけられないし……。

「みんな、慌てないで!!」
「いいかい? こういう時は息を殺して、じっと死んだフリを……」
ああ、もう!
哲夫おじさんたら、熊じゃないんだから!!

「みんな、隠れようよ。どこか隠れればいいんだ」
良夫ったら、珍しくいいこというじゃない。
そうよ。
どこかに隠れれば、強盗に見つからずにすむわ。
早くしないと、今に襖が開けられてしまう……!!

……乱暴に襖が開けられて、ギラリと光る出刃包丁が突き出されて……。
最初に刺されるのは哲夫おじさん。
その次が和子おばさんで……。
……何でだかわからないけど、そんな気がするの。
カタタ……ン……。
ほら、また音がしたわ。

急がなきゃ……!
でも、どこに隠れたらいいの!?
もう間に合わないわ!
今、大きく襖が開けられて……!!
……私たち。
また殺されるのね…………。

……その男は、大きく開けられた襖の前に立ち、ぐるっと部屋の中を見回した。
かすかに風が起こり、畳の上にうっすらと積もっていた埃が舞い上がる。
「どうしましたか?」
声をかけられて男が振り返ると、そこには制服姿の警察官が立っていた。

「いや……。ここに誰かいるような気がしたんだ」
「人が……ですか?」
「ああ、確かに話し声が聞こえたんだが……」
そういわれて警察官は、おそるおそる部屋の中を見回す。
……が。

「誰もいませんね……」
「いるはずがないだろう。ここは空き家なんだから」
だが、男の目は必死に誰かを探しているようだ。
その眼差しは、遠く悲しげな色を帯びている。

「ここは、開かずの間だったんだ。
僕は、幼い頃からそう言い聞かされてたよ。みんなだって、それは知っていたはずだろうに……」
そういって男は、畳や壁に付いた赤黒い染みを痛々しそうに見つめた。
赤黒い染みと、かすかに残る白いチョークの跡……。

今から六年前……。
この屋敷で、痛ましい殺人事件が起こった。
七回忌の法事に集まっていた親族一同が、裏山に潜伏していた逃走中の強盗殺人犯に襲われたのだ。
死者七名、重軽傷者六名を出す大惨事だった……。

犯人が進入した裏口に近かったためであろうか。
殺害されたのは、全員この『開かずの間』と呼ばれる部屋にいた者たちであった。

この屋敷の主婦、前田和子。
その息子の良夫。
TVプロデューサーの真田泰明。
看護婦の藤村正美。
山崎哲夫と鈴木由香里。
そして、高校入学間近だった前田葉子……。

「あの日……。僕は仕事の都合で、親戚の法事に間に合わなかったんだ。そのおかげで、今、こうして生きてられるのかもしれないけどね……」
そういって苦笑を浮かべる男に、何といっていいのかわからず、まだ若い警察官はただ黙っていた。

しかしその沈黙も、ほんの束の間のことであった。
「風間さん、犯人の逃走ルートが割れました!」
屋敷の外から、男を呼ぶ声がする。
警察官は、声を合図に走り出していた。

「よし! すぐ行く」
男はそう返事をしてから、もう一度部屋の中を振り返る。
「みんな……。みんなの仇は、必ず僕がとるからな。安心して成仏してくれよ」

…………その日。
六年前から逃走中だった強盗殺人犯、梨竹史隆が逮捕された。
見事、逮捕したのは風間和弘という刑事であった……。


      (ノーマルエンド)