晦−つきこもり
>七話目(藤村正美)
>A1

「嫌な風ですわね」
乱れた髪を軽く整えながら、正美おばさんが呟いたの。
「それで、どうしますの? これで私の話は終わりですのよ」
ああ、そうだったわ。
これで私以外の人は、全員話し終わったんだった。

みんなが話したんだもの、やっぱり、私も話さなきゃいけないのよね。
でも、私、怖い話なんて知らないんだけどなぁ。
時間も遅いことだし、このまま解散っていうのは駄目?
「どうしたの、葉子?
なんだか、おどおどしてない?」

ドキッ……!!
由香里姉さんたら鋭いわ。
このまま終わり……なんていったら怒られちゃうかしら?
「ははーん。葉子ネエ、みんなの話し聞いてビビッてんだろ」
ムムッ……!
良夫ッたら、なんてこというの!

……でも、半分ぐらい当たってるのが悔しいわ。
そんなこといわれると『ここで終わり』なんて、いえなくなっちゃうじゃない。
しょうがないなぁ、何か適当な話でもしようか……。
うーん。
何かあったかなぁ……。

昔、おばあちゃんから、いっぱい聞かされたと思うんだけど……。
ちっとも思い出せない。
「そういえば……。死んだおばあちゃんて、話し上手な人だったわねぇ」
和子おばさんが、しみじみと呟いたわ。

「いろんな話を知ってたしな……。
ははっ」
……そう。
私も覚えてる。
おばあちゃんはとっても話し上手で、いろんな話を聞かせてくれたわ。

「笑い話から、感動の名作まで……」
「でも、やっぱり一番上手だったのは怪談だよ。夏休みになると、ろうそくの明かりだけの部屋で怪談大会だったじゃん!」
「葉子ちゃんや良夫君は覚えてないだろうなぁ……。
草木も眠る丑三つ時…………。

生暖かい風が頬を撫で、その風に混じって、かすかに生臭い血の匂い……。
ふと、耳を澄ませば木々のざわめきに混じって、絹を裂くような女の悲鳴……ん?」
哲夫おじさんは、そこまで喋って急に言葉を切った。
どうしたのかしら?

何か耳を傾けてるみたいだけど……。
「なぁ、何か聞こえないか?」
「おいおい、何いってるんだよ。
何も……」
泰明さんまで耳を澄ましてる。
いったい、何が聞こえるって…………あっ!
今、確かに何か声が……。

……………………。
……………………。
……………………。
「何だ、あれは風の音だよ。まったく人騒がせだなぁ、哲夫は……」
本当にそうかしら?
でも、泰明さんのいうことだから、きっと正しいんだわ。

「そうそう、婆さんの話で思いだしたんだけどさぁ……。私、月夜の話が一番印象に残ってるんだ」
あら、今度は由香里姉さんなの……?
「こうこうと月の照る晩……。
人の心の奥底に眠る魔性が目を覚まし、飢えた身体は血肉を求めて山野を駆ける……。

畳に長く伸びる障子の影に、牙を剥き出した魔物の影が重なる時……!?
きゃーーーーーっ!!」
由香里姉さんは、しばらく障子を凝視したかと思うと、顔面蒼白になって鋭い悲鳴を上げたの。
そして、しきりに障子を指差してる。

みんなはいっせいに障子を見たわ。
だけど障子には、月明かりに照らされた木の影が、くっきりと姿を映してるだけ……。
……………………。
……………………。
……………………。

「まったく、由香里ちゃんまでそんなこといいだすなんて……。いったい、みんなどうしちゃったのかしらね」
「俺、知ってるぜ。こーゆーのを『枯れオバナ』っていうんだろ」
良夫ったら、生意気なんだから。

私だってそれくらい知ってるわよ。
でも、本当に枯れ尾花なのかしら?
あの、カンの鋭い由香里姉さんが、見間違いを起こすなんて信じられない……。
みんなも、胸騒ぎを感じてるのかしら?

なんだかソワソワと落ち着かない様子だわ。
……あ、でも正美おばさんだけは、いつもと変わらないわ。
じっと座って、静かに微笑んでる。
どこか印象に残る微笑み…………。
……そうだ。

私が、昔、おばあちゃんから聞かされた話に出てきたんだ……。
山に住む妖怪が、人間をエサにするために里に下りて来るの。
その時……。
正美おばさんの髪が、風もないのに舞い上がった。
大きなクモのようだった。

顔には、真っ赤な口と、深い穴のような目が五つ……。
おばあちゃんはいっていたわ……。
山の妖怪は美人に化けるって…………。


      (ノーマルエンド)