晦−つきこもり
>五話目(藤村正美)
>A5

そうでしょう。
でもとにかく、村岡さんは公衆電話をかけに、消灯後の廊下を歩いていたのですって。
待合室の脇の電話まで行こうとしたのは、私たち看護婦に見つかると、怒られるからだといっていました。

私たちは、患者さんのためを思っていっているのに、わかってもらえないものですわね。
待合室も、もう消灯してありました。
非常口を知らせる緑色の明かりだけが、ボウッと浮かび上がっています。

並んでいる長椅子の後ろを通って、電話まで行こうとしたとき。
かさかさ……という、微かな音が聞こえました。
長椅子から聞こえるようです。
紙のこすれ合う音だ、と村岡さんは思ったのですって。
昼間、誰かが雑誌でも置き忘れたのだろう、と。

そして、暇なときに読むつもりで、持っていこうとしたのですわ。
村岡さんは、長椅子をのぞき込みました。
……そこには、いくつもの生首が、整然と並んでいたのです!
長椅子の上で横一列に、まるで順番を待っているように、受付の方を見ているんですって。

かさかさといっていたのは、乱れた髪の毛が、長椅子のビニールと触れあう音だったのです。
村岡さんは、ショックで息ができなかったそうですわ。
次の瞬間、生首が一斉にこちらを向きました。
半分崩れた顔が、包帯に隠れた目が、青ざめた頬が、みんな村岡さんを見つめています。

「わああっ!!」
彼は悲鳴を上げて、逃げ出しました。
後ろから、ゲラゲラと笑う声が聞こえます。
村岡さんは病室に飛び込むと、ベッドにもぐり込みました。
そのまま、明るくなるまで一睡もできなかったそうですわ。

けれども彼は、医師にも担当看護婦の私にも、何もいいませんでした。
必死に、夢を見たと思い込もうとしていたのです。
その日の午後になって、彼の家族がお見舞いにいらっしゃいました。

ところが、息子さんが病室の入り口に立ったまま、中に入ろうとしないのですって。
奥さまが手を引いても嫌がるので、村岡さんは尋ねたそうです。
「どうしたんだ、本当に?」
すると息子さんは、怯えたような顔で、村岡さんを指差しました。

「パパ……おんぶしてるの、誰?」
「ええ?」
奥さんは不思議そうな顔をしています。
もちろん、村岡さんにもそんな覚えは……。
と、そのとき。

肩に食い込む指を感じた気がして、村岡さんはハッと振り向きました。
後ろには…………誰もいませんでした。
けれど、彼は横の壁に掛けてある鏡を、見てしまったのです。
そこには、血まみれの女に背中から抱きつかれている、彼自身の姿が!!

……そして、それっきり、村岡さんは気を失ってしまったのですわ。
だから、私が注意しましたのに。
病院のようなところでは、元気な人に変なものが近寄ってきても、不思議じゃありませんわよ。

きっと、生気に惹かれているんですわ。
まあ、忠告を聞かなかった村岡さんが、いけないのです。
しょうがありませんわよね。
村岡さんは、退院して行かれましたわ。
入院したときとは、別人のように元気をなくしてね……うふふ。

私の話は、これで終わりですわ。
次の話を聞きましょう。


       (六話目に続く)