晦−つきこもり
>五話目(藤村正美)
>T3

そうですか。
でも、人間は誰でも夢を見ているらしいですわよ。

起きたときに、覚えていないだけなのですって。
それでも、もしも夢を見ない人がいるとしたら……?
うちの病院に、以前、渡辺さんという方が入院されていましたの。
まだ若い男性だったのですが、回診のたびに不眠を訴えるのですわ。

眠れないってことですわね。
まあ、人によっては、枕が変わると駄目だという方もいるでしょうし。
そうでなくても、入院なんて、精神的に緊張すると思いますわ。
だから、そのうち慣れれば眠れるだろうと、担当の医師は答えたそうです。

ところが、何日過ぎても、渡辺さんの不眠は治らないのです。
目の下に真っ黒なくまを作って、彼はだんだんやつれていきました。
そして、おかしなことをいい出したのですわ。
「俺の夢を、誰かが盗んでいる」
……なんてね。

彼にいわせると、眠れないのはそのせいらしいのです。
もちろん、医師は笑い飛ばしましたわ。
そんなこと、不可能ですものね。
けれど、渡辺さんは本気でした。

病室から病室へ、自分の夢を盗んだだろうと、他の患者さんに聞いて歩いたそうですの。
これは、あんまりですわ。
医師はあわてて、彼を止めに入りました。

「やめてください、渡辺さん。あなたの夢を盗んだ人なんて、いませんよ!」
医師の声に、渡辺さんは振り向きました。
その目は虚ろで、何も見ていないように焦点があっていないのです。
医師が、ハッと危険を感じた瞬間。

「それなら、おまえかあっ!!」
隠し持っていたナイフを振りかざし、渡辺さんが飛びかかったのです!
周囲の人間が引き離したとき、床に倒れた医師の胸には、深々とナイフがつき立っていたらしいですわ。
そして、渡辺さんは特別病棟に移っていったそうです。

…………葉子ちゃんは、知っているかしら。
眠りには、レム睡眠と、ノンレム睡眠というのがあって、夢はレム睡眠のときに見るそうですわ。
ところが、特別病棟で調べたら、渡辺さんにはレム睡眠期がなかったのですって。

普通なら考えられないことなんですけれど……。
もしかしたら、入院したという精神的緊張から、体に変調をきたしたのかもしれませんわね。
レム睡眠をなくした人間は、極度の不安とストレスにさらされる……という実験結果があるそうですわね。

そういったことが重なって、渡辺さんは夢を盗まれていると、感じてしまったのでしょう。
不思議な話ですが、いつ、誰の身に起こるかも、わからないようなことですわ。
何がきっかけでなるのかも…………うふふ。
私の話は、こんなものでよろしいかしら。

次の方、お願いしますわね。


       (六話目に続く)