晦−つきこもり
>一話目(藤村正美)
>I4

まあ、そうなんですの。
葉子ちゃんは、看護婦にはなれませんわね。
患者さんが、何を求めているか……。
それをうまく察してあげられなくては、看護婦はつとまりませんもの。

「よかった……正美さんに信じてもらえるなら、もう安心だ」
中山さんは、嬉しそうにうなずきました。
「それなら、一つ頼まれてくれるね。実は、荷物を取ってきてほしいのさ」
彼女は、そんなことをいい出しました。

なんでも、自宅近くの郵便局留めになっているからって。
荷物は、五十センチ四方の紙の箱でした。
しっかり包んであったけど、カサカサ音がしていましたわ。

箱を受け取った彼女は、頬ずりしそうなくらい喜んでくれたんです。
「これよ……これを、ずっと待っていたのよ……」
そんな言葉を、繰り返しつぶやいていました。

私は、よほど不思議そうな顔をしていたんでしょうね。
中山さんは、こんな話をしてくれたんです……。
その昔、中山さんがまだ少女だった頃。
近所に、体の弱い男の人がいたんですって。

月の半分は寝込んでいるような人だったけど、とても頭が良かったそうです。
その頭脳を使いこなせば、きっといい暮らしができたでしょうにね。
けれど、その人が興味を持ったのは虫でした。
昆虫の生態を研究していたんですって。

あの頃の世界情勢は悪くて、いつ戦争が始まってもおかしくなかったんです。
その人も、軍人に怒られていたらしいですわ。
もっと、お国のためになる研究をしろ……とでも、いわれていたんじゃないかしら。

でも、その人は意志を曲げなかったんですの。
弱々しい身体のどこに、そんな意志が隠されていたんでしょう。
脅されてもすかされても、研究をやめようとはしなかったそうです。

けれど、そんなに根を詰めたら、体に悪いですわ。
ましてや、彼は体が弱いんですもの。
考えてごらんなさいな。
もともと病弱なのに、睡眠時間を削って、食べる物も食べないで、ずっと集中し続けているんですわよ。

私なら、きっと重い病気にかかってしまいます。
同じ状態になったら、あなただってそうでしょう?
1.そうだと思う
2.そんなことはない