晦−つきこもり
>二話目(前田和子)
>K3

ああ、葉子ちゃんは好きなのね。
そうしたら……ちょっと聞いていて嫌になるかも。
ごめんね、今から謝っておくわよ。
……ヒナキちゃんに撫でられて、猫はごろごろいいだしたの。

中沢君は離れたまま、その様子をじっと見ていたんだけど。
問題はその後よ。
ヒナキちゃんは、あやとりを猫の首にかけ、ぐるぐると巻き始めたの。
「ち、ちょっと……」
中沢君は、思わず声をかけたわ。

「………」
ヒナキちゃんは、黙って中沢君を黒目だけ移動させて見たの。
「何でそんなことするの?」
中沢君は、そういってみた。
「だって、この猫首輪していないんだもん。こうしてないと逃げちゃうよ」

ヒナキちゃんはそう返事したの。
その時、ヒナキちゃんの黒目には、中沢君しか映っていなかったんだって。
草むらや猫は見ずに、中沢君だけをじっと見ていたそうよ。
まるで、中沢君とヒナキちゃんだけが、どこかの空間に二人っきりでいるみたいにね。

「あたし、ヒナキっていうの。あなたは?」
「………」
中沢君は、返事もせずにその場を去ろうとしたの。
来てはいけないところに来てしまった気がしてね。
「猫、かわいそう? そう思ってる?」

くるりと向きを変えた中沢君の背中に、ヒナキちゃんはそう語りかけたの。
「でも、これを外したら逃げちゃうよ……」
それは、ものすごく落ち着いた声だったの。
声の調子は子供のように高かったけど、大人のようにどっしりした響きをもっていたのよ。

中沢君がぎょっとして振り向くと、ヒナキちゃんは笑っていたの。
そうして、猫の首に付けたあやとりを外したの。
中沢君は、その様子を横目でみながら駆け出したのよ。
小さな友達、キーホルダーのことも忘れてね。

……さあ、そして次の日。
中沢君は、キーホルダーのことを思い出して、例の私有地へと向かったの。
ヒナキちゃんがいないことを祈りながらね。
けれど、心のどこかで彼女がいることを願っていたのかもしれないわね。

だってさ、中沢君って、転校してから人間の友達がいなかったじゃない。
あら、ひどい言い方だったかしら。
でもねえ、ずいぶん退屈だったと思うわよ。
やっぱり、私有地にいる不思議なお姉さんに、少しは惹かれていたんじゃないの?

そんな気がするわよ。
「あの子がいなくなるからね……」
私有地で、ヒナキちゃんは又、例の歌をうたっていたの。
側には、猫が横たわっていてね。
中沢君は、物陰から様子をうかがったの。

そうしたら……ヒナキちゃんは、ゆっくりと中沢君の方を見たのよ。
あの、世界に二人だけしかいないような気にさせられる目でね。
(見つかった!)
中沢君はとっさにそう思ったの。

ヒナキちゃんは、手まねきをしたわ。
「あたし、ヒナキっていうの。あなたは?」
ヒナキちゃんの声。
彼女は軽く微笑んだの。
普通の子のようにね。
すごく、やわらかい微笑みよ。

まあ、私だったら騙されないわって思うけど。
中沢君はねえ……。
油断したのね。
自分の名を語りながら、草むらに入っていったの。
でね、その時、ヒナキちゃんの横にいた猫にふっと目をとめたの。

そしたら大変よ。
「うわっ!」
猫は、目を見開いて死んでいたのよ。
ヒナキちゃんは、穏やかに微笑んでいたわ。
「中沢君、どうして驚くの? あたし昨日、首輪をしないと猫が逃げちゃうっていったでしょ」

「……えっ、だって……でも、死ぬなんていってなかったじゃないか」
「いなくなることに変わりはないわ」
ヒナキちゃんは、つんと横を向いて歌い始めたの。
「昨日はあの子、今日もあの子、明日もあの子と遊びましょ……」

本当に、何なのかしらね、
この歌。
中沢君は、気味が悪くなってね。
その日も、キーホルダーを探す前に立ち去ろうとしたの。
ところが、ヒナキちゃんはいきなりこんなことをいいだしたのよ。

「あなたの小さなお友達はいいの?」
「……え、えっ」
なんで、キーホルダーが自分の小さな友達だということを知っているんだろう。
中沢君は一瞬ひやりとしたの。
それで、顔をこわばらせながらヒナキちゃんを振り返ったの。

その時、ヒナキちゃんは笑っていたのよね。
そして、中沢君のキーホルダーを差し出したの。
「あっ……!」
中沢君は、叫んでしまったわよ。
ヒナキちゃんの手にあったキーホルダーには、あやとりの糸がグルグルに巻かれていたんだもの。

キーホルダーの動物は、糸でまかれてすごく苦しそうに見えたの。
「中沢君、どうする? 小さなお友達の首輪も外す……?」
ヒナキちゃんは、にっこりと笑ったの。
「……返せ!」

中沢君は、キーホルダーをヒナキちゃんから奪って逃げ出そうとしたの。
でもね、つかんだのは、キーホルダーに絡まったあやとりの方だったの。
中沢君が思い切り引っぱったから、糸は嫌な音をたててちぎれてね。

「あっ……」
ヒナキちゃんは、それを見るとキーホルダーをそそくさとしまってしまったの。
「随分乱暴なことをするのね」
中沢君は、何もいえなかったわよ。
「中沢君、明日もここにくるといいわ」

ヒナキちゃんはそういったきり、中沢君から目をそらしたの。
「昨日はあの子、今日もあの子、明日もあの子と遊びましょ……」
例の歌を、又うたいながらね。

……ところで、あんたたち。
この歌って、四日目に『あの子』がいなくなるわよね。
中沢君は、明日おいでっていわれたけど、『明日』ってヒナキちゃんと会ってから何日目だと思う?
1.三日目
2.四日目
3.鶴と亀