晦−つきこもり
>三話目(鈴木由香里)
>G6

想像もつかない……。
まさに、そうだよね。
だってそうでしょ。
いろんな感情が、ごちゃまぜだったと思うんだ。
死を連想させるものを目の前にしたら、普通は恐怖を感じるじゃん。

もっとも、井上先輩が死体愛好家だっていうんなら別だけど、そんな噂は聞いたことなかったし……。
だから、まず一つめの感情は恐怖。
でもさぁ、遺体っていうのは、じっとして動かないのが普通だよね。

動くのは……、お化けだよ。
まぁ、それは置いといて。
死んだ婆さんがいってたんだけど、昔、死んだ人を火葬にする時って、下からしか火が加えられなかったんだって。
それで、死体を燃やしてるとさぁ、下から吹き上げる熱風で、手足がゆらゆらと浮き上がって踊るんだって。

ちょうど、その時、婆さんはお好み焼きを焼いてくれてたんだけど、その細く切ったネギが揺れるのを見て、話してくれたんだろうなぁ。
生きてるわけでもない、お化けでもない遺体が、自然の力で動いてる。

その驚異の力を見て、感動を覚える人だっていると思うんだ。
ちょっと、オーバーかなぁ?
他にも、シュールな美しさがあったかも……とか、シニカルな笑いが……とまぁ、そんなことを考えてたんだ。

だけど先輩は、そんな私の推測をあっさり打ち消すかのように、
「怖かった」
と、いっただけ……。
まぁ、私の推測の中にも『恐怖』はインプットされてたから、まるっきし間違ってるってわけじゃなかったんだけどさぁ。

井上先輩は、恐怖に引きつった顔を水面から出すと、シュノーケルを外して帰らせてもらえるよう頼んだそうだよ。
でもね、
「駄目だね。お前には、もう前金を渡してあるんだから」
ダイバーたちを指揮するボートの上からは、こんな返事が返ってきたんだって。

ええっ!? って思うじゃん?
ボートの上で返事したのは他の誰でもない、二階堂さんだったのさ。
二階堂さんのご馳走してくれた料理も、酒も、すべて遺体捜索のアルバイト代。
おいしい料理に目が眩んで、警戒を解いてしまったのが、先輩の失敗だったね。

騙された……って、こんな時になって気付いたって遅いって。
さっさと、仕事に戻った方が賢明だよね。
それでも先輩が潜らずにぐずぐずしていると、二階堂さんが手に持っていたオールで頭をこづくんだって。

先輩はしかたなく水中に潜り、これは仕事だ! 仕事なんだ!! って、自分で自分を説得しながら、遺体を引き上げたそうだよ。
そんなに強く殴られたわけじゃなかったけど、先輩にとっては、自殺者の遺体よりも、滝壷へ続く崖に浮かぶといわれる幽霊よりも、このオールを握った二階堂さんの方が怖かったんじゃん?

「もう、地獄の鬼のような奴だった!」
先輩がこの話を聞かせてくれた時、最後に、吐き捨てるようにいったんだ。
仕事が終わった後、落ち着いて考えてみると、二階堂さんの騙すような手口といい、オールで人を殴ったことといい、理不尽なことだらけじゃん。

あの時、気付かなかっただけに悔しくってしょうがなかったんだよ。
「そういう奴こそ、死ぬべきだよな」
ふいに、誰かが呟いた。
そうそう、いってなかったよね。

井上先輩からこの話を聞いたのって、夏合宿の夜だったんだ。
彼の所属するスポーツクラブって、ダイバーズ・ライセンスを取ったばかりの人のために、けっこう頻繁に、海に潜るチャンスを作ってくれるんだよ。
夏、合宿ときたら、やっぱり夜は怪談じゃん。

ちょうど、今の私たちみたいに、数人で寄り集まって盛り上がってたんだ。
だから、先輩の話を聞いてたのも、私一人じゃなかった。
それで、話を聞きながら、その場にいた誰かが、物騒なことを口にしちゃったのさ。

「俺もそう思う」
って、誰かが賛成すると、
「そんな奴が生きてるなんて、許せないよな」
って、もう大変な騒ぎになっちゃって……。
みんな、お酒が入ってたから、完全に酔った勢いってやつだったけどさぁ。

井上先輩だけは、一人、じっと押し黙ったままだったよ。
何を考えてたか……。
案の定、みんな酔っ払ってた時のことなんか、翌日の朝にはさっぱり覚えてなかったし、私も、これといって追及しなかったし……。

『おいしい話には、罠がある』
ぐらいの教訓めいた感じだけを残して、先輩の話は、みんなの心の片隅に追いやられてったのさ。
……私が先輩から聞いた話は、これで終わりなんだけどさぁ。
1.じゃあ、次の話へ行きましょうか?
2.えー、もっと話して欲しいな