晦−つきこもり
>五話目(藤村正美)
>L10

葉子ちゃんったら、本当にこの少年が誰だか、わかっていないんですのね。

まあ、いいですけれど。
少年は、カップケーキをもらってくれました。
ところが、食べたのは彼ではなく、彼の友達だったのです。
そして、ガラスをのどに引っかけた友達は、エッジで切ったのでしょう。
真っ赤な血を吐いたそうですの。

それを見た少年は、園部さんが毒を盛ったとでも考えたのでしょうね。
「てめえ、園部! よくも!」
そう叫んで、追いかけてきたそうです。
その瞬間、園部さんの頭の中に、ミドリちゃんの声が響きました。

「さあ、どうするの? あんた、完璧にあいつに嫌われちゃったわよ」
金縛りが解けるように、フッと体の自由が利くようになりました。
ミドリちゃんがまた、絶体絶命の状況に、園部さんを放り出したのです。

園部さんは、青ざめて叫びました。
「ち……違うわ!」
そして、逃げるために階段を駆けのぼったのです。
少年は追いかけてくるようです。
とうとう、屋上まで追い詰められてしまいました。

給水塔の陰に隠れた彼女を、少年が捜します。
そのうち、落ちたのでは……と心配になったのでしょうか。
屋上のへりに乗り出して、下を見ようとしているのですわ。
それを見た園部さんの体が、こわばりました。

この感じは……また、ミドリちゃんが彼女の体を乗っ取ろうとしているのです!
「いや……っ!」
必死にくちびるを噛む園部さん。
けれどミドリちゃんは、まるでもぎ取るように、体の制御を奪い取ったのですって。

そして、かがみ込んだ少年の背中めがけて、思いきり腕を突き出したのです!
「きゃあーーーーっ!!」
「わーーーーっ!」
二つの悲鳴が重なりました。
落ちかけた少年は、コンクリートのへりを抱え込むようにして、何とか持ちこたえましたわ。

むき出しの手や足が、こすれてすりむけました。
ミドリちゃんは、嬉しそうに笑いましたの。
「残念、落ちなかったわね。カップケーキだって、あんたが食べると思ったのに。本当にしぶといんだから」

「な……何だと?」
少年は、かすれた声で聞き返したそうです。
でもミドリちゃんは、馬鹿にしたように薄笑いを浮かべ、少年を見下ろします。

「うふふ……助けてほしい? 殺さないでって、頼んでみてよ」
少年の顔が、怒りでゆがみました。
園部さんは泣きたくなったそうですわ。
なぜミドリちゃんは、ここまで園部さんに意地悪をするのでしょう。

これでは、少年に憎まれるだけじゃありませんか。
それほどまでに、彼女が少年を好きになったことが、気に入らないのでしょうか?
とにかく、彼はいいましたわ。
「助けてください」
……屈辱に満ちた、食いしばった歯の間から押し出すような、そんな声だったそうですわ。

園部さんが、小さな胸を痛めているのを知ってか知らずか、ミドリちゃんはいやらしく笑いながら……。
「い、や、よ!」
やめて、と叫ぶより早く、彼女の足がうずくまった形の少年の背中をけりました。
それも強く、何度も繰り返してね。

このままでは、きっとミドリちゃんは少年を死なせてしまう。
そう思った瞬間、園部さんに不思議な力が湧いてきました。
大切な人を、こんなことで死なせるわけにはいかない……と思ったのではないでしょうか。
けりあげる足に意識を集中させたのですって。

すると、不意に足の動きが止まりました。
今までは、どうやってもミドリちゃんから、体を取り戻せなかったのに。
園部さんは力ずくで、そのままミドリちゃんの意識を押しのけようとしました。
けれども、ミドリちゃんは譲ろうとしません。

二つの力が拮抗し、彼女の体を不安定に揺らめかせます。
「今だっ!」
鋭い声とともに、少年が彼女の足を払いました。
「きゃああーーーーっ!!」
不意をつかれた園部さんは、そのまま屋上から落ちてしまったのですわ。

そして、先生方が呼んだ救急車に乗せられて、病院へ運ばれたというわけですの。
さあ葉子ちゃん、ここまで話せば、もうわかりましたわよね?
園部さんの好きな少年というのが、誰のことだか……。
1.わかった
2.まだ、イマイチ……