晦−つきこもり
>一話目(前田和子)
>J6

「舞? ……厠かな」
厠ってわかる?
今でいう、トイレのことよ。
その頃は、トイレやお風呂って、家の外に作るものだったのよ。
下水道なんて発達してなかったから。
庭の土に汚水を捨てれるようにしていたのね。

その日は、すごく肌寒かったそうよ。
伊佐男は白い息をはきながら、庭に出てトイレまで歩いた。
「伊佐男……」
ふいに伊佐男は、トイレの前で背後から肩をたたかれたの。
男の野太い声で呼びとめられて。
伊佐男は、ゆっくりと振り向いた。

「誰だ……?」
「誰だじゃねえぞ。あんた、川に何を流していたんだ?」
それは平太だった。
こっそり庭に入り込んでいたのよ。
「また川か! いいかげんにしてくれ。それより舞を……」
「舞? 舞がどうかしたのか?
まさかおまえ、舞に何か……」

その時、トイレからなにか崩れ落ちるような音がしてね。
ぎぎいっと、トイレの扉が開いたの。
「……舞!!」
舞は、真っ青な顔をしてトイレの壁に手をついていた。
青白い顔が闇に溶けるようで、赤い着物がひどく浮いて見えてね。

それからは、もう大変よ。
「伊佐男! お前、舞に何をしたんだ?」
「何をって……舞! どうしたんだ? うわっ!!」
暗闇の中から、平太に呼ばれた村人が何人も出てきて。
伊佐男を引きずっていったの。

「離せ!!」
「やめて……うぐっ」
その時舞は立ち眩みがし、地面に手をついてしまったの。
舞はただ単に、気分がすぐれなかっただけだったのに。
平太が勝手に誤解したのよ。
伊佐男が何かしたんだろうと。

「やめろ! 何すんだ!!」
伊佐男はかなり遠くまで引きずられたわ。
「うるさい! 舞に何をしたんだ?
何を企んでいるんだ?」
平太も必死よ。
伊佐男が暴れれば暴れるほど、切羽つまった状況になっていったの。

「舞が倒れたんだ! いってやらないと……」
「そんな嘘をつくな! 伊佐男、何か企んでいるんだろう?」
「何だと!?」
それからはもう、取っ組み合いよ。
平太や何人もの村人と、伊佐男一人で。

伊佐男は何度殴られても立ち上がり、みんなに向かっていった。
平太達は、伊佐男をよってたかって縛り上げたわ。
伊佐男の頭を地面に押し付け、手を後ろに回させて。
「おとなしくしろ!」
伊佐男が頭をあげると、それを強く地面に叩きつけて。

地面に顔を伏せ、動かなくなった伊佐男の手を平太は頑丈に縛った。
そして、伊佐男を立たせようとした時。
平太は気付いたの。
伊佐男が、頭を強打して死んでいたことに……。

そんな夜がふけて、舞は次の朝目覚めてね。
伊佐男が連れ去られたことに気付き、村のあちこちを捜し歩いたの。
村人は誰も、伊佐男の行方を教えてくれなかった。

舞は夕方まで捜し歩き、やっと伊佐男を見つけたの。
伊佐男は、小さなシャベルで引っ掻いたような傷を額につけて死んでいた。
……処刑台の上でね。

ねえ、みんな。
この村の北の方に、石舞台があるのを知っている?
幾つかの大きな岩を組み合わせた、テーブルみたいな石舞台。
あそこにはしめ縄が張られて、立ち入り禁止になっているのよね。
あそこが処刑場だったんじゃないかって、私思っているんだけど。

……石でできた処刑台の上で、伊佐男は目を開けたまま死んでいた。
平太は、伊佐男が罪を犯したから処刑した、ということにしようとしたのよ。
「いやあああっ」
舞は、激しく泣き崩れたわ。
そして、平太の家に抗議しにいったの。

でも平太は、したり顔でこう語ったのよ。
「舞、早く忘れるんだ」
そして舞の手に、細長い石を握らせたの。
「……これをあずかってきた。
折り紙の船に乗せて、川に流してくれ」

その石は、伊佐男の眉間を打った石だった……。
1.ひどい!
2.それもまた運命