晦−つきこもり
>二話目(前田和子)
>C5

「…………」
帰った方がいいかもしれない。
ヒナキちゃんの姿を前にして、秋山君は急に不安になったの。
けれど、私有地に誰かの人影が見えてね。
秋山君は、しばらくじっとしていたの。

誰だろう?
そう思って見ているうちに、人影は走り去ってしまったの。
「まさかな……」
人影は、田崎君のようだったのよ。
秋山君は、しっくりしないものを感じつつ、ふらりとヒナキちゃんの元に近付いたの。

やっぱりこのまま帰れない、そんな気がしたのよ。

「待ってたわ」
ヒナキちゃんは、秋山君の姿を見つけるとすぐさまそういってね。
スッと、手をのばしてきたの。
ふふ、今度は何したと思う?
「ちょっ……何す……」
ヒナキちゃんは、秋山君の鼻をつまんだのよ。

(い、息ができない……!)
秋山君は思わず目をつぶって苦しがったけど、私有地には二人っきり。
ヒナキちゃんの指には、かなり力が込められていたの。
一瞬はしる後悔。
余計なことに首を突っ込んで、制裁を加えられた気分ね。

やめてくれっていう言葉もだせないのよ。
こういう時って、なかなかしゃべれないもんだから。
私も良夫によくやってるわ。
すぐに離してやるけどね。
「……ぐっ……」
秋山君は、鼻が折れてしまうんじゃないかって思ったの。

そして、このまま殺されてしまうんじゃないかって。
つままれていたのは鼻だけだったけど、秋山君は水に顔をつけたように息ができなかったの。
「あははは……何て顔してるの?」
ヒナキちゃんは、笑いながら指を離してね。

こういったの。
「近々、もっと苦しいことが起こるわ……」
秋山君は、考えたわよ。
苦しいことって何だろう。
自分に起こるんだろうか。
それとも……一緒にヒナキちゃんを捜した、田崎君に起こるんだろうかってね。

そこで秋山君は、まず田崎君と仲直りしようって考えたの。
田崎君に災いがふりかかることがあったら、助けてあげようと思っていたんじゃない?
「田崎……昨日、あのテレビ見た?」
秋山君は、まず二人がいつも見ているテレビの話題を持ち出したの。

普段の、なにげない会話。
そういうことから、自然に会話して仲直りしていこうとしたのね。
「ああ、……見たよ」
田崎君にはわかっていたのよね。
秋山君が仲直りしようとしているってことが。

二人は、又もとのように楽しく話し始めたの。
秋山君は、しばらく田崎君のことを注意して見ていたわよ。
本当に事故か何かが起こるんだろうかって思いながらね。
でも、毎日は平凡に過ぎていったの。

「もしかしたら、ヒナキちゃんって子は冗談で人の鼻をつまんだりしたのかも……」
秋山君がそんなふうに思うようになった頃。
事件は起こったの。
秋山君は油断していたのよ。
暑い夏の日、海で沖の方に泳いでいるうちに、波に飲み込まれてしまったんだもの。

「助けて!!」
秋山君は必死で助けを求めたの。
側には、田崎君がいたわ。
二人で海に来ていたからね。
「秋山!!」
田崎君の声。
秋山君は嫌な予感がしたわ。

田崎君が近寄ってくるのを見て……。
(もしかして、僕を助けようとした田崎が溺れるのかもしれない……)
溺れてる人を助けるのには、訓練が必要らしいわね。
素人が助けようとしても、しがみつかれて一緒に溺れるのがオチみたいよ。

助ける時って、溺れている人を後ろから抱えるんだって。
でも田崎君は、秋山君の正面から近付いて来たのよ。
(田崎……!)
秋山君は、もうそれ以上考えられなかったわよ。
ただ、必死で水をかいていたの。

田崎君は、秋山君の目の前に来たわ。
そして一言。
「……ヒナキちゃんのいった通りだ」
秋山君は、一瞬耳をうたがったの。
田崎君が何をいっているのかわからなかったのよ。

「秋山、俺、お前とケンカしてから、ヒナキちゃんに会いにいったんだよ。お前が、未来のことをわかってたら、予防できるかもしれないっていっていたから」
田崎君は、秋山君の沈んでいく頭を見ながらこういったの。
「俺、ヒナキちゃんにいわれたんだよ。鼻を指でつままれて、近々、これよりもっと苦しいことが……」

「ごめ……田……」
秋山君が、謝ろうとした時よ。
「秋山。俺、いわれたんだ。これよりもっと苦しいことが……見れるって」
田崎君がいったの。
「身近な人に不幸が起こって、それを目のあたりにするって……」

そういったのよ。
状況が一変したわ。
秋山君は、その瞬間に死を予感したの。
1.諦める
2.死にたくない