晦−つきこもり
>二話目(鈴木由香里)
>M10

屍骸についた傷痕がさ、刃物で斬られたものだったのさ。
あれは、絶対に動物の爪痕なんかじゃないね。
そのうえ、わざと内臓が引き出されてたんだよ。
わざわざ見せびらかすように。
そんなことするのって、人間だけだと思わない?

もう、私の頭の中を、かっちゃんの、あの笑顔がちらついて離れなかった。
このままじゃすまない……。
まだまだ命が奪われる……。
頭の奥の方で、誰かが囁いてた。
それからも、生き物の屍骸はいたる所に転がってたよ。

全部、かっちゃんの仕業に決まってる。
何度となく、かっちゃんが殺すのを見てるからさぁ。
ある時なんか、かっちゃんは、どこからともなく沢山の蛙を捕まえてきて、ガラスのビンに閉じ込めてたんだ。

水も入れずに、蛙ばっかりだよ。
そして、そのビンを、真夏の炎天下に、出しっ放しにしておくんだ。
するとさぁ、どうなると思う?
ジリジリ照りつける太陽の下で、ガラスのビンはどんどん暖められ、サウナや温室なんて生ぬるいもんじゃなかったのさ。

一日も経つと、すっかり蛙たちは干からびて、ミイラになってた。
逃げ場を失った蛙たちが、灼熱地獄の中でもがき苦しんだ姿のまま、恨めしげな目付きでこっちを見てるんだよ。
地獄絵図って、まさに、ああいうのを指すんだろうね。

そうそう、朝、障子を開けると、羽をむしられた雀の屍骸が庭に散らばってたこともあったなぁ。
その時も、かっちゃんの手……、指や爪に、赤い血の跡と、白い羽のちぎれた物がこびりついてるのを、私は見逃さなかったよ。
もちろん、誰にもいわなかったけど。

屋敷内は、私にとって敵地のようなもんだったし。
いったところで、誰も信じちゃくれなかったと思うんだ。
こうなってくると、屋敷のどこにいても、空気が淀んでるような、重苦しい感じがしてさぁ。

黄ばんだ障子も、天井の雨漏りの跡も、かっちゃんに殺された生き物たちの血や体液が、染み込んだものみたいに思えてきちゃって。
私は真剣に、お屋敷を出ることを考え始めてたよ。
空には、初めて来た時のような、血色の夕焼けが広がってたっけ……。

夕暮れの、慌ただしい時間帯だっていうのに、屋敷の中にも、外にも、まったく人の気配が感じられなかった。
「ウギャーーーーーッ!!」
突然、その静寂を引き裂くような、鋭い悲鳴が!!
人間の声だか、獣の声だか判断しかねるような、響きだった。

私は、すぐ、その声のした方へ行ったよ。
悲鳴は、どうやら台所の中から聞こえたようだった。
台所っていったって、薄暗い土間だったからさ。
さすがに気味が悪くて、私は、こっそりと窓から覗いたんだ。

台所にいたのは、かっちゃんと、その母親の二人。
母親の陰でよくは見えなかったけど、二人は背の低い台を挟んで、何だか呪文の様なものを唱えてて……。

台の上では、一匹の犬が、体中を切り刻まれ、無残な姿をさらしてた。
(婆さんの飼ってる犬だ!)
とっさにそう確信したよ。
家長である婆さんと、かっちゃんの母親とは、まさに犬猿の仲だったからさ。

嫁と姑ってやつ?
でもさ、これはそれだけじゃあ済まされない、重要な行為だったのさ。
かっちゃんの母親の手には、真っ赤な血に染まった包丁が握られ、かっちゃんの掌の上には、ビクビクと脈打つ心臓が、さも大事そうに載せられてたよ。

心臓が、ドクンと震える度に、千切れた血管から、赤い滴がボタボタッと落ちる。
かっちゃんは、腕やシャツが汚れるのもかまわず、うっとりとした表情で、自分の手の中の心臓に見とれてた。

屋敷に棲み付いてる、妖怪や魑魅魍魎なんかよりも、この母子の方が、何百倍も恐ろしくてさぁ。
(逃げなきゃ!)
って、気ばかり焦って、身体はちっとも動かないんだ。
その場にしゃがみ込んで、ガタガタ震えてたよ。
するとさぁ……。

ギィーッと軋んだ音をたてて、台所の窓が押し開けられたのさ。
窓を見上げると……!!
ニターッと、薄ら笑いを浮かべた、かっちゃんの母親の顔があった!
「あらあら、こんな所で何をしているの?」
言葉遣いは穏やかだったけど、その響きには、やっぱりどこか冷たいものがあったよ。

そして……、
「由香ちゃん、はい!」
って、かっちゃんの声が、すぐそばから聞こえたのさ。
見ると、私の目の前に、犬の心臓を大事そうに抱いた、かっちゃんが立ってた。
無邪気な笑顔を浮かべて。

(いつの間に!?)
かっちゃんは、掌にある心臓を、私の頬に擦り付けようとしたよ。
私は、必死に抵抗したんだけどさぁ、窓から伸びてきた母親の腕に、がっちりと押さえつけられて、アウト。

しっかり、べったり、何度も、生暖かい感触を味わうはめになったんだ。
血の臭いってさぁ、鉄の臭いにどことなく似てるんだよね。
その臭いと、軟らかい弾力を感じながら、私の意識は遠くなっていったのさ。

夢を見ていた……。
って感覚はないんだけど、こんな会話を聞いたような気がしたよ。
「ほーら、うまくいっただろ」
「うん」

「まったく、お前が勝手にインコを殺したりするから、材料がそろわないかと思って、ひやひやしたわ。お義母さんの可愛がってた犬を、利用させてもらったから、儀式の方は大丈夫ね」
「うん」

……私が気付いた時、そこは暗い穴の底だった。
上を見上げると、トンネルの出口みたいに、丸く星空が見えた。
お屋敷の中庭にある、かれ井戸の中だと思ったよ。
特に、身体が痛いとか、怪我してる所とかなかったから、投げ込まれたわけじゃなかったようだね。

ロープか何かで、吊るされて降ろされたんじゃないかなぁ。
どれくらいの時が過ぎたのか……。
ふいに、
「お前は、明日の朝、神になるんだよ。この屋敷の守り神にね」
遠く、上の方から声が響いてきたんだ。

かっちゃんの母親の声だ。
「それまでは、そこでおとなしくしてなさい」
「ちょっと、待ってよ! 私は、そんなの絶対、嫌!!」
「無駄だよ、由香ちゃん。だって、由香ちゃんには『印』があるんだもん」

楽しそうな声は、かっちゃんのものだったよ。
『印』って……?
母子は、私を井戸の底に置き去りにして、さっさと行ってしまったようだった。
屋敷の中に入ったんじゃん?
井戸の底ってさぁ、狭くて、暗くて、夏だっていうのにヒンヤリしててさぁ。

屋敷の敷地内だっていうのに、しーんと静まり返ってるんだよ。
僅かに見える星空が、さらに孤独感をあおるんだ。
「……?」
もう誰もいないと思った頭上から、白い物が降ってきたんだ。
ハラハラハラハラ……。

それは、うっすらと光沢を放ちながら、星空から舞い下りてくるように見えた。
(きれい……)
一瞬でも、そう思った私が馬鹿だったよ。
その白い物は、無残にもむしり取られた、トンボの羽だったんだ。

これも例外なく、あの母子の仕業に違いない!
私はね、お盆の時期やお彼岸に現れるトンボって、ご先祖様の霊が宿ってるから、殺しちゃいけないよって教わってたんだ。
だから、この時は本当に背筋が寒くなったよ。

きれいだって思った分、余計にね。
トンボや蝶が、羽を失って生きられると思う?
かっちゃんたち母子は、罪もない生き物ばかりでなく、死者の魂をも侮辱したんだよ。
いつのまにか私の身体には、トンボの羽が、うっすらと降り積もってた。

花吹雪ならぬ、羽吹雪の後……。
今度は、ベチャッという凄い音を立てて、赤黒い塊が降ってきたのさ。
パッと血の臭いが漂ったから、何か、内臓の一部だったんじゃないかなぁ?

どんな意味があるんだか知らないけどさぁ、それからも、時間を置いて、次々といろんな物が投げ込まれてきたよ。

ほとんどが、生き物の内臓だったけど。
まったく、何のつもりだったのかなぁ?
1.神様へのお供えだった
2.由香里の食べ物として