晦−つきこもり
>三話目(藤村正美)
>J6
本当ですの?
私はごめんですわ。
そんな人、見ているだけでイライラしますもの。
でも、私の好みなんて、どうでもいいことですわよね。
ごめんなさい。
うふふ、話を戻しましょうか。
ことの発端は、ある日の夕方でした。
診療が終わって、オフィスに戻ってきた先生が、突然倒れたんですって。
すごい苦しみ方だったそうです。
武内さんはオロオロしてしまって、救急車を呼ぼうとしました。
ところが、先生はそれを止めるんです。
「待って……それよりも、そこの引き出しの……注射器を取って……」
武内さんは、いわれた通り、机の引き出しを開けました。
中には、細い注射器が入っていたのです。
それを渡すと、浦野先生は自分で、腕に針を刺しました。
中に入っている透明な液体が、体の中に入っていきます。
先生はホウッとため息をついて、額の汗を拭いました。
「だ……大丈夫なんですか?」
恐る恐る尋ねる武内さんに、にっこりと微笑みます。
「ありがとう、もう大丈夫よ。でも……このことは、内緒にしておいてね」
間近で見る先生の美しさに、武内さんは舞い上がってしまいました。
だから、いわれたことの奇妙さにも、気づかなかったんでしょうね。
それどころか、これはチャンスだと思ってしまったのです。
武内さんは、先生の手を握っていいました。
「先生のおっしゃることなら、喜んで。
僕は、先生が好きなんです!」
浦野先生は、びっくりしたような顔をしました。
それから笑顔になって、武内さんの手を握り返したんですの。
「嬉しいわ、武内君。困ったことがあったら、力になってね」
「も、もちろんですっ!」
武内さんは、元気よくうなづきました。
愛する人に頼られるなんて、これ以上ない喜びでしょう。
先生のためなら、命も捨てられるとさえ思い詰めても、何の不思議もないですわ。
その気持ち、わかるでしょう?
1.わかる
2.わからない