晦−つきこもり
>三話目(藤村正美)
>O4
それなら、きっと池波さんを好きになりますわ。
とにかくハンサムな人だったんですもの。
担当看護婦は、大原さんでした。
ところが、その日から彼女の様子がおかしくなったのです。
注射器を落として割ってしまったり、一時間に三回も検温に来たり……有能な大原さんには、あり得ないミスばかり。
あまりに変だったので、直接聞いてみたんですわ。
そうしたら、彼女は頬を染めました。
「実は……池波さんのこと、好きになっちゃったの」
私は驚きましたわ。
仕事一筋で頑張ってきた彼女が、そんなことをいい出すなんて。
でも、考えてみれば、彼女も若い女性ですものね。
男の人を好きになっても、不思議ではありませんわ。
間もなく、彼女の気持ちは、病院中の人に知れ渡りましたの。
あれだけ妙な素振りを見せれば、当然ですわよね。
けれど、肝心の池波さんは、素知らぬ振りをしているのですわ。
見ている私たちの方が、やきもきするほどでした。
それなのに、大原さんったら。
「いいの。あの人を見ていられるだけで……」
なんて、いっているだけなのです。
そんなことをいっていたら、恋人なんてできるはずありませんわ。
気弱な大原さんが、私には歯がゆく思えました。
女性だからって、向こうからのアプローチを待つなんて、もう古いですわ。
それなのに、いつまでたっても大原さんは、くよくよしてばかり。
だから私、思い立ちましたの。
私から池波さんに、彼女の想いを伝えればいいんですわ。
いわば、キューピッド役を務めるわけですわね。
彼女の想いを聞けば、彼だって気が変わるかもしれないでしょう。
病室の彼に、私は伝えたんです。
「看護婦の大原さんが、あなたを好きなんです。あなたは、彼女をどう思いますか?」
彼は目を丸くして、それから笑い出したのです。
突然、私の背後で声がしました。
「何を笑ってるの?」
いつの間にか、入り口に女性が立っていたんです。
小柄で目のぱっちりした、可愛らしい方でしたわ。
「聞いてくれよ。この人が、俺を好きな奴がいるって、教えてくれたんだけどさ」
池波さんは、お腹を抱えて笑っていました。
女性はそれを聞くと、私を振り返って、いったんですわ。
「池波君には、私という恋人がいるんです。あきらめるように伝えてくださいね」
「それに大原って、あの暗くて地味な看護婦だろ。絶対に嫌だよ」
二人は、口々に勝手なことをいい合いました。
そのとき、廊下で物音がしたんですわ。
見ると、大原さんが走っていくところでしたの。
今の言葉を、聞かれてしまったんですわ。
その晩は、ろくに眠れませんでした。
次の日、病院に行くと、大騒動が持ち上がっていたのです。
医局から、劇薬が消えているというのですわ。
私は予感がして、池波さんの病室へ急ぎました。
ドアを開けた瞬間、その光景が目に飛び込んできましたわ。
ぐったりと白目をむき、ベッドから乗り出すようにして死んでいる、池波さんの姿。
その腕には、点滴の管が繋がっています。
そして、隣には大原さんがいたんですわ。
手にしたビンは、まぎれもなく紛失したという劇薬です。
大原さんは私を見て、ニヤリと笑いました。
「あなたのせいで、私は恥をかいたわ。でも、そのおかげで勇気が出た。あなたには、感謝すべきかもしれないわね」
「勇気……って、どういう意味ですの?」
聞き返す私の声は、震えていたと思います。
「あなたのいう通り、考えるだけじゃ何も変わらないわ。私は、池波さんを手に入れることに決めたの」
そう叫ぶと、彼女はビンの中身を、一気に飲み干してしまったのです。
「大原さん!」
駆け寄ろうとする私の目の前で、彼女は池波さんに覆いかぶさるように倒れました。
「池波さん……こ、これで……私の物……」
つぶやいたくちびるから、たらっと血が流れました。
そのまま、彼女は帰らぬ人となったのです。
大原さんは優秀な看護婦でした。
自分の行動が、どういう結果を生むか、きっとわかっていたはずです。
それでも、やらずにはいられなかったんですわね。
そんなに彼を愛していたのか、傷ついたことが辛かったのか……。
恋愛って、そういうものなんでしょうか。
1.そういうものだと思う
2.彼女は間違っている