晦−つきこもり
>四話目(鈴木由香里)
>F7

葉子?
どうしたのさ、黙っちゃって。
あ、そうか。
驚きで声も出ないんだ。
私も、凍りついたようにその場に立ちすくんじゃってたよ。
驚きもあったけど、やっぱり恐怖で……っていうのが最大の理由だったな。

呪いをかけている女性の凄まじい怨念が、周囲の空気をピリピリと緊張させてた。
釘を打つ音が高く響くごとに、恨みのこもった念のようなものが、私の方にまで押し寄せて来るんだって。
私は、無意識のうちに服の胸ポケットを触ってたよ。

そこには御守りがあったからね。
……以前、マザー・アンジュがプレゼントしてくれた御守りだよ。

「由香里さん……。あなたの近い未来に、災厄の影が見えるの。
妬み、恨み、憎しみ、その他諸々の人間の持つマイナスの感情が、あなたへと向けられる兆しがあるわ。だから、この御守りを持っていてちょうだい。きっと、あなたを守ってくれるはずよ……」

……って、その時の彼女はいってたっけな。
私、彼女の占いには絶大なる信用を置いてたからさぁ。
肌身離さずいつも持ち歩いてたんだ。
釘を打つ女性と、息を殺してそれを見つめる私…………。
どれくらいそうしていたのかなぁ……。

ふと気付くと、私の手の中の御守りが熱を持っていたのよ。
焼けるような熱さっていうんじゃなくって、こう……暖かいって感じ。
不思議に思ってそっと手を開くとさぁ……。
布製の御守りの入った袋を通して、かすかだけど光が漏れてるじゃん。

私、守られてるんだってことを実感してた。
それと同時に、これがマザー・アンジュのいってた災厄なんだってことも、漠然とだけど理解してたよ。
するとさぁ、風向きが変わったんだ。
いつのまにか、私の背後から心地いい風が吹いてた。

その風と御守りのおかげだと思うんだけどさぁ……。
さっきは息苦しいぐらいに感じてた怨念みたいなものが、私の周りからすっかり消えちゃってたんだ。
そして、パァーッと暖かい光が一瞬だけ、辺りを照らしだした。

……もちろん光の元は、私の御守りだったよ。
その光を浴びて、呪詛を行ってた女性が、ギョッとした表情で私を振り返ったのさ。
振り返った女性は……。
全然知らない顔だったよ。
そうだね。
強いていうなら、目だけ見覚えがあったっていうべきかな。

恐怖に見開かれてたとはいえ、あの目を私が見間違えるはずがない。
いつも、私を見張ってたあのギラギラした目。
あれは間違いなく、マザー・アンジュの目だった。
……自分でも驚いてるんだけどさぁ。

私、この時までマザー・アンジュの素顔って見たことなかったんだよね。
彼女って、普段からばっちりメイクしてたし、薄いベールで常に顔を覆ってたからさ。
いつも、目ばっかり見てたってことか……。

彼女は、振り返って私を見た瞬間に、全てを悟ったんじゃないかなぁ。
見開かれた目には、一瞬にしてあきらめの色が広がったよ。
そしてがっくりと膝をついて、そのまま動かなくなったんだ。
近寄ってみようか……?
……私が、そう思った時。

目の前のマザー・アンジュの身体が、細かい霧のようになってブワッと飛び散ったの。
濃い緑色の霧……。
ちょうど、青カビの胞子が飛び散ってるみたいな感じ。
あんまり気持ちのいいもんじゃないよね。
まぁ、それもほんの一瞬の間だけ。

風がすぐに霧を晴らしてくれたからさ……。
その場に残されてたのは、彼女が念を込めていた呪詛人形と、数本の五寸釘だけ……。
呪詛人形には、しっかりと私の名前が書かれてたよ。
もちろん、うちのショップの商品だったさ。

私には見分けがつかないけどさぁ……。
あの日の呪詛人形は、いったい誰の作った人形だったんだろうね。
私の作った物か……。
マザー・アンジュ自身が作った物か……。
今だから、いえることなんだけどさぁ……。

私、マザー・アンジュは占師として、非常に高い霊力を持ってたと思う。
私なんか比べものにならないくらいのさ。
じゃあ何で、彼女の作った呪詛人形が効果を発揮しなかったのか……?
それは……。

私と彼女の持つ霊力のタイプが違ってたからじゃないかなぁ。
簡単にいうとさぁ。
私は、わずかながらも自分の意志や力を放出するタイプ。
彼女は、その強大な力で他人の心やカードの示す答え、微妙な空気の流れなんかを感じ取るタイプだったのさ。

このことには彼女自身、まったく気付いてなかったみたいだけど……。
自分のことが一番見えないっていうのは、まさにこういう状態を指すんだと思うな。
でもさ、運命って皮肉だよね。
マザー・アンジュがくれた御守りは、彼女の言葉通り私を守ってくれたけど……。

彼女がもし、私に御守りを渡さなかったら……?
私の未来を占わなかったら……?
ううん、それよりも私の未来に見えた災厄が、彼女自身だとわかっていたら……?
私は、今ここに、いなかったかもしれないんだよね。

「この御守りに感謝しなきゃ……」
そういって由香里姉さんは、ズボンのポケットから小さな布袋を出した。
ずいぶんほころびちゃってるけど、きっとあの中にマザー・アンジュさんからもらった御守りが入ってるんだわ。

「何? 葉子ったら、そんなにジロジロ見ちゃってさ。
もしかしてこれが欲しいの?」
1.欲しい
2.欲しくない