晦−つきこもり
>四話目(藤村正美)
>F6

そうでしょう。
嬉しいですわ。
とにかく、私は様子を見ていましたの。
そうしたら、先生は注射器をぽいと捨てました。

「と思ったけど、僕は注射が苦手でね」
そういって、ポケットから錠剤を取り出し、和田さんの口の中に放り込んだのですわ。
とっさだったので、和田さんは思わず飲み込んでしまったようでした。

そして、あっという間に眠り込んでしまいましたの。
これは異常な事態ですわ。
私も、自分の判断が正しかったのか、わからなくなりました。
それでも、間違っていたとは思いませんわ。

ええ、思いませんとも。
私は自分が可愛くて、彼を見殺しにしたわけじゃありません。
だって、私は看護婦ですもの。
看護婦って、やさしくなくては勤まらないんですのよ。
もちろん、強さも必要ですけれどね。

一番大切なのは、他人のために尽くせるかということですわ。
私たち看護婦は、いつでも人のため、この身を捨てる覚悟ができているんです。
ただ、それも範囲というものがありますわよね。
わけがわからないまま死ぬのは、絶対に嫌だったんですの。

何が起きているのか知ってからなら、喜んで和田さんの身代わりになりますわ。
だから私は、身をひそめたまま、見守り続けたんですの。
先生は、和田さんが眠ったのを確認しました。
そして、病室を出て行ったのですわ。

幸い、私には気づかなかったようです。
私は今のうちに、人を呼ぶことにしました。
ナースステーションから、同僚を連れて引き返したんです。
一人じゃなければ、怖くありませんもの。

ところが、病室に入った途端、大変な物を見たんですわ。
ベッドの上に、巨大なゴツゴツした肉塊が、うごめいているじゃありませんか!
思わず、悲鳴をあげてしまいましたわ。
私の声に反応したように、肉塊がぐらりと動きました。

すると、肉塊に埋もれるように、和田さんの顔が!
巨大な肉団子に押しつけられて、半分埋まっているようです。
私たちは、とりあえず和田さんを引っぱり出そうとしました。
騒ぎを聞いてやってきた、他の看護婦や医師たちも、あぜんと立ち尽くすだけです。

そのとき、よく通る声が響いたのです。
「待たせたね。僕が来たからには、もう大丈夫さ!」
和田さんに怪しげな薬を飲ませた、あの先生です。
彼は、誇らしげな笑顔で立っていました。

「あっ、風間先生!」
医師の誰かが叫びました。
風間先生ですって!?
本当に、医師だったなんて……。
和田さんがあんな風になったのは、あの人のせいではなかったのでしょうか。

風間先生は、てきぱきと指示を出し始めました。
「すぐに手術の用意だ。執刀は僕がやる」
先生の指示に従って、和田さんが手術室に運び込まれましたわ。
見守る私たちの目の前で、手術中を知らせるランプが点灯しました。

次の日の、午後も遅くなってから、ようやく手術は終わったのです。
息を飲んで待つ私たちの前に、風間先生が現れました。
「手術は成功だ。彼を病室に戻して、当分安静にさせること。いいね」

出てきた和田さんは……ゆうべ、入院してきたときの姿です。
体を覆っていた、あの巨大でみにくい肉の塊は、きれいになくなっています。
「さすがですね、風間先生!」
「いやいや、僕にかかればね。それじゃあ、後はいつものように」

あっさりいうと、先生は大きな袋を抱えあげました。
そのまま歩き去る姿は、まるでサンタクロースか大黒様のようでしたわ。
私は、近くにいた知り合いの医師を、捕まえて聞きました。
「あの方、うちのお医者さんですの? 一度も、見たことがないんですけれど」

「ああ、風間先生は、普段は研究室にこもっているからね」
病院内に研究室があるというのは、聞いたことがありました。
でも、診察にも出ないで、研究だけしていられるなんて、他に類を見ない特別待遇ですわ。
何となく興味が湧いて、先生の後をつけることにしたんです。

風間先生は、エレベーターを素通りして、奥の廊下へと歩いていきましたわ。
そちらは使われていない手術室や、資材を置いてある部屋などがあるだけです。
廊下も、行き止まりになっていると思っていました。

けれど突き当たりの壁には、ドアが一つあったのです。
先生は、そのドアの中に入っていってしまいましたの。
それでは、ここが研究室なんでしょうか。
だとしたら、妙な場所に作ったものですわね。

そんなことを考えながら、私はドアの前まで行ってみました。
すると、いきなりドアが開いたんです。
目の前にいるのは風間先生。
びっくりして口もきけない私に、ウインクなんてしてくるんです。

「君は天才ドクター風間こと、この僕の秘密を知りたいんだね。
いいだろう、存分に見てくれたまえ。ただし! 君の目が真実を見通す力があるのなら、必ずこの僕のとりこになる。それが怖くないのならね」
……なんて変な人なんでしょう。

風間先生は、私をドアの中に入れてくれました。
そこには、大小さまざまなガラス瓶が並んでいたのです。
中には、ピンク色や灰色や黒の、正体不明の塊が浮かんでいましたわ。
先生は、一本の巨大な空き瓶の上で、持っていた袋を逆さにしました。

ずるりっと滑り出して、瓶の中に落ちたのは、大きな肉塊じゃありませんか。
はみ出した分を、先生がギュッと手で押し込みます。
むりやりフタをしてしまうと、瓶の胴体にラベルが貼られました。

「男、二十歳代、フナフナポリニコフ腫瘍、サイズLL」
……思わず、声に出して読んでしまいました。
風間先生はニコニコと笑っています。

「僕は、短く縮めてフナポリと呼んでいるんだ。その方が可愛いからね。極めて珍しい病気でね、世界でも数例しか発見されていないんだ。彼に、この病気の兆候を見たときは、ラッキーだと思ったよ」

私は、そっと尋ねてみましたの。
「あの、まさかとは思いますけれど……これは、ひょっとして和田さんの……」
「その通り、彼の腫瘍だよ。成長させようとしたら、薬が効きすぎて、あんなになっちゃったけどね。はっはっは」

そうだったのです。
あの肉団子のような塊は、成長した腫瘍だったのですわ。
夕べ飲ませたのは、腫瘍を成長させる薬なのでしょう。
「これで、僕のコレクションも、世界に通用するよ。フナポリの、できるだけ大きな奴が欲しかったんだ」

そのとき私は、他の瓶にもラベルが張ってあることに気づいたんですわ。
「女、四十歳代、カナポポクン腫瘍、サイズM」
「男、八歳、メンジルタレプー腫瘍、サイズL」
……そうなんです。

部屋中の瓶に詰められた塊は、すべて患者さんから切り取った腫瘍だったのですわ。
それも、聞いたこともないような奇病ばっかり。
なんだか、めまいがしてきました。
でも、先生はそんなこと、お構いなしに近づいてきます。

「僕は君が気に入ったよ。秘蔵のコレクションを見せてあげよう」
先生の手が、私の肩に伸びます。
「やめてくださいっ!」
私は、思わず先生を突き飛ばしました。

あんな不気味なコレクションの持ち主には、指一本触れてほしくなかったんですもの。
それで、部屋を飛び出してしまいましたの。
「待ちたまえ、照れ屋さん。恥ずかしがることはないんだよ!」
背後で先生の声が聞こえました。

まったく、ふてぶてしい人ですわね。
私はもちろん、構わずに走り続けましたわ。
ナースステーションに戻るまで、一度も足を止めませんでした。
それっきり、風間先生には会っていませんわ。

広い病院ですから、あり得ないことではないんですが……。
私はあの後、いろいろと話を聞いたんですわ。
風間先生の正体というか、何者なのかをね。

彼は、いったい何だったのだと思います?
1.座敷わらし
2.幽霊
3.変わり者の医者


◆一話目〜三話目で風間の話を聞いている場合
3.変わり者の医者