晦−つきこもり
>六話目(前田良夫)
>F3

へえ、そうなんだ。
実はさ、戸波が見たのも、そういう言葉だったんだよ。
黒いマジックかなんかで、クッキリと。
「三日月の夜おまえは死ぬ」
って書いてあったんだってさ。
そいつ、いやーな気分になって、急いで個室を出たんだよ。

はめ殺しの窓から、白い月の光が差し込んでいたって。
そういえば、今日は三日月だったはず……。
思い出したら、スウッと胃の辺りが冷えた。
さっきの高校生は、もう出て行ったんだろうか。
そんなことを考えながら、急いで出ようとしたときだ。

「ぐぎゃああああーーーーっ!!」
ものすごい悲鳴が、外から聞こえたんだ。
外に飛び出そうとした瞬間、ものすごいショックがこめかみにぶち当たった。
戸波は吹っ飛ばされて、洗面台にぶつかったんだ。

ヘビー級のボクサーの、パンチくらいはあったんじゃない?
「うう……」
立ち上がろうとしたヤツの肩を、何かがガッとつかんだ。
同時に、息づかいみたいな音も。
「…………………………」
戸波はビビって、背中をバリバリにこわばらせた。

誰かが、後ろにいるのか!?
ヤツは息を止めて、横目で後ろを見たよ。
そこには誰もいなかった。
だけど、気配はするんだよ。
じっと息をこらして、戸波を見つめてるみたいな気配だった。
「だ……」
誰かいるのかって、聞こうとした。

その視界の端で、何かが動いたんだ。
ドサッと床に倒れたのは、さっきの茶髪男だった。
ビックリしたみたいに、目をカッと見開いてる。
しかも、血の涙を流してるんだ。
それがみんな、目の前の鏡に映って見えたんだよ。

それから戸波の口が、ポカンと丸く開いた。
なんでだか、葉子ネエわかる?
目の前には、鏡があるんだよ。
それなのに、自分の前に張ってある鏡に、自分一人しか映ってないことに、気づいちゃったんだ。
考えてみ?

目の前の鏡の中には、誰もいない。
なのに、背中越しに呼吸の音が聞こえるんだぜ。
おまけに、生臭いようなにおいがしてくるしさ。
ヤツの足は、もうガクガクだった。

恐る恐る肩を見ると、尖った爪の、青白い手が、服の布地をつかんでる。
血管も、うぶ毛もない、すべすべのロウ人形みたいな手だったって。
生き物とは、とても思えないような……さ。
戸波の呼吸が荒くなる。

自分の見たものが、信じられないんだよ。
耳元で、『そいつ』がククッと笑った。
「私を見たら……殺すぞ」
ささやき声とともに、生臭い息がかかった。
鉄みたいな、鼻の奥がつんとするみたいなにおい。

これは、血のにおいじゃないのか?
氷を押しつけられたみたいな感じがしたって。
戸波は、必死にうなづいた。
そりゃそうだよな。
誰だって死にたくないもんな。
そうしたら、そいつは手を離したんだ。

背中じゅうを耳にした戸波には、そいつが自分の横に回り込んだのがわかった。
今、横目で見れば、正体がわかる。
葉子ネエ、横見る勇気ある?
1.あると思う
2.自信ない