晦−つきこもり
>三話目(鈴木由香里)
>A5

仕方ないなぁ、葉子がそういうんなら話してあげるよ。
これは、井上先輩が樹海の遺体捜索に行くよりも前の話なんだ。
先輩は、普段はスポーツクラブのインストラクターをやってるんだよ。
専門分野はマリンスポーツ全般。

ウィンドサーフィンから、水上バイク、中でも一番得意なのが、スキューバダイビング。
彼は、しょっちゅう海外に旅行しては、あちこちの海に潜ってた。
ある日、その旅先で出会ったという人から、井上先輩に電話があったんだって。

「もしもし、井上さんですか?
二階堂と申しますが……。そう、グァムでお会いした。お久しぶりです……」
って、感じだったんじゃん?
電話の内容は、
「近くまで来てるんですけど、一緒に飲みませんか?」
って、お誘いだったらしいよ。

特に断わる理由もなく、先輩はその人と飲みに出掛けたのさ。
「私が、呼び出したんだ。今日はおごらせて下さいね」
そういって、二階堂さんが選ぶのは、豪華な料理に、高い酒ばかり。

それも、次から次へと井上先輩に振る舞ったんだって。
金持ちなんじゃん?
井上先輩も、最初こそ警戒はしてたんだけど、二階堂さんの金離れのよさと、巧みな話術にのせられちゃってさぁ。
ひとしきり世間話をした後には、

「今度、また潜りに行きませんか?
国内ですが、絶好のスポットがあるんですよ」
「それは面白そうですね。ぜひ、連れてって下さいよ」
って、すっかりうちとけちゃってて、気軽にOKしたんだって。
「そうですか、じゃあ早速ですが……」

……といった感じで、週末の予定が決まったのさ。
そして週末……。
二人は、二階堂さんの車に道具一式積み込んで、ダイビングスポット目指して出発したんだ。
車は高速を走り……。
しばらくたった頃、

「……?」
先輩は、おかしなことに気付いたんだって。
車窓の景色が、山と田畑ばっかりっていう田舎の風景に変わってきてたんだよ。
車は高速を下りると、今度は山道を上っていく。

普通、潜るっていったら海じゃん。
なのに、周りは山ばっかりで、海なんて全然見えやしないんだから、おかしいって思うのは当然だよね。
やがて、急カーブの多いクネクネした坂道に差し掛かる頃になると、井上先輩にも、目的地の察しがついてきてたんじゃないかなぁ。

彼らが到着した場所は、紅葉の名所として全国的に有名な滝だったのさ。
青木ヶ原樹海と同じくらい、超有名な自殺名所だよ。

観光客で賑わうこの滝は、明治の終わりに、十八歳の青年が投身自殺して以来、自殺名所としての名を広め、その後、僅か十年足らずの間に、未遂者も含めて二百人余りの人が身投げしてるんだって。

一時期に比べれば、自殺者の数は減ってきてるっていうけど、それでも年間、五、六人は身投げする人が出るんだって。
必ず心霊写真が撮れる場所って、テレビや雑誌の心霊特集じゃお馴染みの場所じゃん。
霊感のある人には、滝の周囲に無数の霊が見え、その怨念の凄まじさに鳥肌が立つんだって。

体調の悪い時や、憑かれやすい人は、迂闊に近寄れないっていうよね。
二階堂さんのいう絶好のスポットって、その滝の滝壷のことだったのよ!
自殺名所っていうことは、当然、滝壷の中には遺体があるはずだよね。

人が見てる目の前で自殺したっていうんなら、すぐにでも捜索隊が出るんだろうけど、自殺志願者っていうのは、たいてい誰もいない時に身投げするんだよ。
だから、ここでも日を決めて、滝壷の遺体捜索を行うんだって。
青木ヶ原樹海と同じだね。

井上先輩が連れて行かれたのは、まさにその遺体捜索の日だったのさ。
『潜る』っていうのは、『滝壷に潜って遺体を引き上げる』ってこと。
二階堂さんは……、といえば、もうウェットスーツにライフジャケットを着て、ボートに乗り込んでる。

井上先輩って、気が小さいわけじゃないんだけど、流されやすいところがあってさぁ。
周りの人が、次々とウェットスーツに着替えて水に入っていくのを見て、自分もそうしなきゃ! って思い込んじゃったんじゃないかなぁ。

で、いざ、水に入ってみると……。
(うわーーーーーっ!!)
水中だから、声は出なかったけど、先輩は心の中で叫んでたって。
滝壷の、ちょうど水流が渦巻いてる所で、人の形をしたものがぐるぐる回転してる。

よく見れば、手だけや、足だけという、人の部分に見えるものまであって……。
それらが引き上げるべき遺体だと気付いた時の、先輩の気持ちがわかる?
1.恐怖でいっぱい
2.わくわくして楽しい
3.想像もつかない